「パブリック・スペースのゆくえ」1年をふりかえって

「パブリック・スペースのゆくえ」1年をふりかえって

浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)

  • facebook
  • twitter

パブリック・スペースにとってこの1年間は、激動の年だったといっていいだろう。いうまでもなく、新型コロナウイルスの脅威によって緊急事態宣言までが出される異様な事態となったからだ。公園の遊具は封鎖され、学校や図書館は閉鎖され、多数の人々が集まる場所も自粛要請という名のもとに実質的に封鎖されるという、まさにパブリック・スペースにとって非常事態となった。

最後にこのような状況になってしまったが、1年間を振り返ってみると、まず、津川恵理さん、板坂留五さん、岩瀬諒子さん、榮家志保さんという4人の若手女性建築家による「パブリック・スペースを提案する」が強く印象に残っている。最初の打ち合わせの時からそれぞれに違う強い個性を持った4人であることは自明ではあったが、その期待以上に、それぞれの設計実務のなかでの実践と未来に向けての新たな提案が融合した珠玉の原稿が集まっている。書き方や文体も十人十色で、純粋に読み物としても楽しいのでぜひ読んでみてほしい。

「パブリック・フロントランナーズ」と「海外のパブリック・スペースから」というさまざまな背景をもつ書き手から届いた原稿は、「ソーラークッキング」「屋台」「露天」「サウナ」など、パブリック・スペースをテーマにしているにもかかわらず、蓋を開けてみればごく小さなスペースや共同体からパブリックへと繋げた原稿が多く集まることとなった。これは、どこかで現在多くの人が抱くパブリック・スペースのイメージにも繋がっているだろう。

「パブリック・スペースを見に行く」で実際に専門家とともにまち歩きをし、最新のパブリック・スペースのあり方を体現する機会は、緊急事態宣言の影響で結局泉山塁威さんと一緒に虎ノ門と池袋を回った1回のみとなってしまったが(「ストリート・公園・公開空地」)、これは今回最も手応えが大きく、続けたかった企画のひとつである。やはり実際に現地に行って話すのは、テーブルの前で話しているのとは違い、圧倒的な情報量の差がある。特に2020年初頭のこの数カ月は、外に出て人と話すという機会が徹底的に奪われた時期でもあり、現場に行くこと、そして現地で話すことの重要さを改めて気づかされることになった。

「パブリック・スペースを創造する」の公開対談のほうは、小説家、料理家の樋口直哉さん(「プライベートな料理、オープンなキッチン」)と社会学者の南後由和さん(「〈ひとり空間〉の時代に移動はいかに可能か」)の2回だったが、こちらも来場者の前で話すことの重要さを、いま改めて感じている。特に、南後由和さんとの対談は「ひとり空間」をテーマにしており、現在の状況を見据えたかのようなアクチュアルな対話になっていると思うのでこちらもぜひ読んでみてほしい。

そして、今回5月号で同時に掲載しているコミュニティデザイナーの山崎亮さんとの公開対談(「ポストコロナの社会で未来像はいかに描けるか」)と昭和女子大学准教授の田村圭介さんとのまち歩き(「SHIBUYA──迷宮ターミナルの歴史といま、そして未来」)は当初のかたちでは実現することができず、ZOOMでのインタビューとなってしまった。これはいまでも心残りである。

じつは2人に対談をお願いしたのには、共通の理由がある。失礼を承知で言えば、2人とも設計者からキャリアをスタートさせているが、小さな建築作品をコツコツとつくりつづけているタイプではない。ただ、2人とももう少し引いた眼で社会や建築を見ることができる人物であり、いまパブリック・スペースを考える際には、そのような知見こそが重要だと考えたからである。

忘れられないエッセイがある。建築史家の青井哲人さんによる「小さなピクチャレスク」と名付けられたそのテキストは、青井氏が担当していた『新建築 住宅特集』の月評(2010年5月号〜2011年4月号、新建築社)の最終回に、1年の総評として、いわば近年の建築の傾向に対する批評として書かれたものだ。

現在の日本の多くの建築家が使用している敷地条件、法規、施主の仕事や性格などのリサーチから設計を行う方法では、翻って都市や住まいを構造づけている大きなシステムが補強されてしまう。

一言で要約すればそのような内容のテキストだ。奇しくもちょうど東日本大震災の直前に書かれた原稿であり、その後、大きなシステムへの依存と不可視化はますます進行していったように思う。

では、住宅のような小さなものではなく、大きなものを設計すればいいのかというと物事はそう単純ではない。例えば原子力発電所も、それを必要とする経済や国や資源との関係からは逃れることはできず、原子力発電所の存在そのものを疑って設計することは住宅以上に困難だということは容易に想像できるからだ。

だから、せめて不可視のシステムを補強するのではない方法はないだろうか。できれば、そのシステムを少しでも良い方向に変えるにはどうすればいいだろうか。この10年近くの間、ちょうど震災後の10年と重なっていたこともあって、青井氏から出されたこの問題についてずっと考え続けている。

システムは中にいればいるほど見えなくなる。たとえば家庭もひとつのシステムだが、自分の家庭の内部での常識がしばしばほかの家庭での常識とは違っているということを、ほかの家庭に訪れるまで気づかなかったりする。家庭以外にも学校や地域や会社などのあらゆる共同体は内部環境を持ったシステムであるといえる。そして、ハーバート・A・サイモンが『システムの科学』(稲葉元吉+吉原英樹翻、パーソナルメディア、1999/原著=1969、1981)で述べているように、あらゆるシステムはその外部環境から分離できるという性質を持つ。筆者が以前からコミュニティや共同体についてにわかに礼賛する気になれないのは、それらを扱うことによって結果的に内部環境のみを括ってしまい、その外部の問題を見えなくさせてしまっていると感じるからだ。

ただやっかいなのは、前掲書でサイモンが今度は限定合理性という言葉で説明しているように、専門家は限られたシステムのなかにおいてこそ合理的な設計をすることができるという部分である。(専門家であっても)予測はしばしば当てにならないし、社会はデザインするにはあまりにも大きすぎるからだ。ただ、この事実を悲観的に捉えるのではなく、再び裏返して利用することはできないだろうか。

在宅での仕事を可能とすること。満員電車に毎日のように押し込まれないこと。より長く個人の時間があること。コロナ禍によって逆に気づかされたように、少なくとも、これらは達成すべき問題として扱えるのではないか。そして、問題が表現できれば、その限られた合理性のなかで専門家は設計を行うことができる。

住宅で仕事をすること。住宅地に仕事場が点在していること。少なくともいま現在ではそれらはまだ実現されてはいない。

そこで、「パブリック・トイレ」「パブリック・キッチン」「パブリック・スペース」と続いた「パブリック」3部作は、一旦ここで終了し、次回以降はあえて「住まい」からはじめようと考えている。

浅子佳英(あさこ・よしひで)

1972年生まれ。建築家、デザイナー。2010年東浩紀とともにコンテクスチュアズ設立、2012年退社。作品=《gray》(2015)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=西澤徹夫)ほか。共著=『TOKYOインテリアツアー』(LIXIL出版、2016)、『B面がA面にかわるとき[増補版]』(鹿島出版会、2016)ほか。

公開日:2020年05月29日

  • facebook
  • twitter