インタビュー 7

3Dでかたちにする、衣服と建築の可能性の中心

長見佳祐(HATRAデザイナー) 聞き手:浅子佳英(建築家、プリントアンドビルド)

「部屋」と「居心地の良い服」

浅子佳英

今日は、ファッションブランド「HATRA」(ハトラ)デザイナーの長見佳祐さんにお話をうかがいます。HATRAは長見さんが2010年に設立したブランドで、「部屋」というコンセプトを掲げています。そのコンセプトは、衣服をあたかも人間の最初の居住空間と捉え、「居住空間の居心地をそのまま外に持ち出せるような心地よく安心できる服」をデザインする、という非常にユニークなものです。衣服を、プライベートとパブリックの接点として捉える発想はとてもおもしろいし、なによりこのシリーズのテーマである「これからの社会、これからの住まい」とも完全にリンクしています。そして、実際僕がHATRAを知るきっかけになったのも、そのためにデザインされたスウェットパーカーでした。

今日は長見さんに「衣服と建築」をテーマに、主に2つの視点からお話をうかがいたいと思います。ひとつ目は、長見さんおよびHATRAの衣服に対する思想やマインドについて。もうひとつは、長見さんのデザイン手法についてです。長見さんは、数年前からファッション用の3D CADソフトを使用し、衣服のデザインをされています。建築設計の分野でも、現在BIM(Building Information Modeling)という、コンピュータ上で3次元の建物のデジタルモデルを作成しながら設計を進める手法が大きく注目されています。そこで、先見的に同様のソフトを導入してデザイン活動をされてきた長見さんに、従来のデザイン手法との違いや、クリエイションのうえで起こった変化についてお聞きできれば、建築を含めデザインに関わる人にとって有意義な話になると思います。ぼく自身今日はとても楽しみにしています。どうぞよろしくお願いします。 まず、HATRAと、そのコンセプトが出てきた経緯を簡単に教えてください。

長見佳祐

よろしくお願いします。HATRAは、2010年の設立当初から「部屋」というモチーフをキーコンセプトに掲げ、主にファッションデザインを提案してきたプロジェクトです。身体表象の自由とファッションはもともと密接に関わってきましたが、パーソナリティを色形で表明することがその唯一の手段であることには息苦しさを感じていました。当時はちょうどSNSも普及しはじめたころで、内面から広がる自由のかたちもありえるのではないか。それに最適化した衣服の作り方ができるのではないかと、現状への不満と希望のあいだにある状態があった。それが「部屋」というコンセプトと、「スウェットパーカー」というアイテムのかたちに結実しました。

スウェットパーカーは、もともとアメリカ由来のカジュアルアイテムです。良くも悪くもその属性は変わることなく受容されています。スウェット(裏毛)素材も同様ですね。僕はフランスではクチュールの服づくりを学び、平面素材をどうやって立体構造物にするかということに取り組んできたわけですが、ある時スウェットに触れ、そのポテンシャルを強く感じました。そこで、スウェット素材の立体表現力とパーカーというアイテムの記号的な展開、2つの掛け合わせによって、社会と身体のズレに対してアプローチできるのではないか、と考え至りました。

パーカー

パーカー

スウェットパーカー
提供=HATRA


浅子

たしかに、90年代までパーカーはストリートファッションの域を出ることはほとんどなかったように思います。たまにハイブランドが扱っても、あくまでストリートのアイテムとして取り入れられた。長見さんのようなクチュールのデザイナーが、パーカーをひとつの造形として真剣に取り組んだ事例はほぼなかったですよね。まず、その着眼点がとてもおもしろいし、さらに興味深いのは、「自由」の捉え方の違いです。「身体を拘束しない」という意味で自由を語るのはたいへんわかりやすいけれど、長見さんの自由の捉え方はそれとは違う。言葉にしづらいけれど、「部屋」と「拘束しない」というのがなんとなく結びついているというのは、感覚的にとても共感できますね。

長見

衣服の質の良さを語る際には、「着心地」という言葉が用いられますよね。「着心地」には、前提として人間は動いているものであり、動的な状態において快適であるという含意があります。それに対してHATRAでは、「居心地のよい服」というサブコンセプトを掲げていました。人間には本来、動く以外にももっと多様な目的や行為があるはず。服を着てその場にいることに特化した心地よさを、ファッションデザインとして提供できていなかったことにも、以前からもどかしさを感じていたんです。

浅子

部屋─自由─居心地、という連想は、とてもしっくりきますね。そしてとても現代的な感覚だと思います。

ファッションによる「新しい人らしさ」の提案

浅子

長見さんがファッションデザイナーになり、ブランドを開始するまでの経緯を教えてください。

長見

広島の公立高校は普通科に通っていたし、住まいもいたって普通のマンションでした。「どうしてファッションデザイナーを志したのか」と尋ねられるたびに答えに困ってしまいますが、高校の友人がとてもおしゃれで、彼の影響は受けていると思います。しかし、明確にこれ、というきっかけはないんです。

18歳で東京の専門学校に入り、2年次からはパリに留学をしました。留学先では東京と違い、衣服づくりを体系的に学んでいくことより、自分のつくりたいものを制作することに熱中していました。それに、ファッション・ウィークの時期は授業どころではなく、パリでコレクションを直に見られる機会は、やはり座学に替えられないものがありました。

浅子

現在のHATRAのコンセプトやプロダクトの原型になっているような経験やアイデアはありますか。例えば、現地で見て影響を受けたコレクションなど。

長見

直接に影響を及ぼしているかはわかりませんが、当時見たショーのなかで最も印象に残ったのは「CHALAYAN」(チャラヤン)の「One Hundred and Eleven」です。有名な機械仕掛けのドレスのシリーズを現地で見ることができたのですが、周囲の熱狂も含め非常に大きな衝撃を受けました。フセイン・チャラヤンの「CHALAYAN」は奇抜で実験的なアプローチのイメージが強いと思いますが、影響を感じるのは、そのようなコンセプトの面だけではなく、プロポーションに対する線の入れ方かもしれません。服を着た人物に、どのような位置、角度で線を引き印象をコントロールするのか。そういう他の誰にも気づかない最後のワンタッチに、デザイナーの個性が表れるのだと思います。

今になって見直してみると、当時つくっていた作品とHATRAのプロダクトには、造形的に共通している部分が多いですね。フードの考え方もこの頃から見え隠れしていますが、「部屋」のコンセプトがまとまっていくのは2010年に東京に帰国してからのことです。

卒業制作作品

卒業制作作品
提供=HATRA


コロナ禍で考えたこと──「liminality」と「TWI HATRA」

長見

現在までにHATRAが行き着いたのは「liminality」(リミナリティ)いうキーワードです。2021年秋冬シーズンから「リミナル・ウェア」(LIMINAL WEAR)の展開を始めました。「リミナリティ」は文化人類学の領域で「境界状況的」と訳されます。

コロナ禍において、移動が制限され困難になりました。それまで移動とは、時間を奪われる面倒なものとして語られがちだったにもかかわらず、それが制限されてみると、ものすごい窮屈さも感じられるようになりました。そこで、時間をかけて移動することに対して人々が感じていた心地よさとは何か、その心地よさに対して衣服で代替可能なアプローチとは何か、を考えるようになったんです。

リミナル・ウェア

リミナル・ウェア
提供=HATRA

レベッカ・ソルニットの『ウォークス──歩くことの精神史』(東辻賢治郎訳、左右社、2017)を読むなかで、「リミナリティ」という言葉を知り興味を持ちました。人はひとつの場所に根を張って暮らしているとどうしても社会的なあり方が硬直していきます。「旅」という行為には、その凝り固まった自我や場所との癒着を時間をかけて引き剥がしていく効能がある。そして戻ってきた時も、以前とは異なるひとつ上のレイヤーで、さまざまな関係性を構築し直すことを可能にさせる。かつての巡礼にはこうした効果があったという分析に、非常に共感しました。

「部屋」をコンセプトに掲げてやってきたら、奇しくもみんなが部屋にいる事態になってしまった(笑)。そんな社会で、ブランドのコンセプトに「部屋」を掲げるとは一体どういうことなんだろう、と自然と考えさせられました。僕自身も移動を制限され、衣服のつくり方や考え方を見直す時間が増えた。その結果、こうしたコンセプトに行き着きました。「部屋」というコンセプトには収まりきらなかったHATRAのフレームを補足するのが、この「リミナリティ」という概念だと思っています。

レベッカ・ソルニット『ウォークス』

レベッカ・ソルニット『ウォークス』

浅子

これまでと地続きでもありながらそれを刷新する新たなコンセプトを発見されたわけですが、現在でも「新しい人らしさ」を模索しているという意識を持っていらっしゃるのですね。

長見

そうですね。「新しい人らしさ」をデザインのベンチマークのように扱っているわけではありませんが、活動を通してそれを生み出し伝えることができるかは、やはり意識しています。未知の知性とコミュニケーションをするためのツールを模索している、とも言い換えられるかもしれません。

歴史のさまざまなレイヤーにおいて、人間は多様性を理解することによって不可知を乗り越えてきました。それは、対象の形を真似することによって可能になったと思うんです。感覚的ですが、もしAIやロボット、宇宙人と友好的にコミュニケーションをとりたければ、僕たちはそれらの形を獲得する必要があるかもしれない。同じ見た目や機構を模することで、対象への理解は大いに進歩するのではないか、と感じるんです。とても大きな話に聞こえるかもしれませんが、そのバリエーションを増やしておくことがファッションの歴史的な役割だったんじゃないかと僕は思っています。

ファッション市場にはどうしても半年のサイクルがあるので、多くの場合そのスケールでしか批評やその正当性の評価ができません。それはもどかしい部分ではあります。しかしもう少し長い目で考えれば、世界のうねりや変化に寛容になれる。それはとても大きな力だとも思います。

浅子

「境界状況的」というテーマは、非常に現代的な現象をうまく捉えているように思います。HATRA設立と同時期に登場したSNSをぼくたち人類は10年くらい使ってみたわけですが、いろんなことがようやく実感としてわかってきた。近代までの感覚では、例えば仮にスズキイチロウさんいう人がいたとすると、「スズキさん」というリアルな人間像が確固としてあって、SNSはそれと地続きのものだと思われていた。しかし今では、「スズキさん」がSNSでは何をつぶやいているかはわからないし、裏垢ではさらにヤバいことをつぶやいているかもしれない。そして、そもそもどちらがその人の本質かはわからない、ということを僕たちはようやく実感として感じられるようになってきた。言わば、誰しもが「境界状況的」であり、HATRAは、それにいち早く応答したように感じます。

2020年の秋冬シーズンから、「TWI HATRA」(トワイ ハトラ)というホームウェアのレーベルを開始されました。寝間着でもなく、シャツでもスウェットでもない。これも、コロナ禍での経験や思考が影響して生まれたものでしょうか。

長見

そうですね。「TWI HATRA」は、2020年の最初の緊急事態宣言中に開催していた秋冬シーズンの展示会で発表し、9月からリリースしました。展示会自体は、会期の半分も開催できずに閉めざるをえなかったし、誰も来ないギャラリーで今後のことを終日考えていました。AR展示など、オンラインでの発表や表現の方法を検討するのとは別に、ブランドとして、衣服でこの状況にどのようにリアクションすべきかを考えていました。

「HATRA」はもともと「部屋」をテーマにしていたこともあり、ルームウェアはいつか向き合うべき課題のひとつだと以前から考えていました。実際に自分も外出を制限され、その実感が身体に染み込んでいくうちに、このテーマが衣服としてかたちになっていったのです。

緊急事態宣言の前後で、暮らしぶりが大きく変わったわけではないものの、やはりいつもとは違う状況に動揺したと思います。スタッフが仕事場に来られなかったし、アトリエと自宅を往復する時間もやや変則的になりました。いつも以上に早い時間に帰宅することもあって、そんなとき、「今は何を着るべき時間なんだろう」と思うんですね。寝間着に着替えるには早すぎるし、かといって、外出時の格好のままではどこか過ごしにくい。切り替えのタイミングが難しくて、何を着ればいいのかわからないまま過ごす時間が増えていきました。こうした時間に着る衣服には名前もないし、そこで納得できる服の形とはどんなものだろう、と思ったんです。こうして発表したのが「TWI HATRA」でした。単純に「HATRA」として居心地のよい寝間着をつくるというのではなく、そのような曖昧な時間のための服装を新しくデザインしようと思ってつくったものです。

TWI HATRA

TWI HATRA

TWI HATRA
提供=HATRA


とてもありがたいことに、反応は想像以上に大きかったですね。最初は、実験的といえる程度の枚数しか用意していなかったのが、すぐ完売してしまいました。予約枠もすぐに埋まり、生地のストックが追いつかないほどでした。

浅子

約2年間のコロナ禍で何かが大きく変化したというよりも、長年社会の水面下で進行してきたことが可視化されたというのが実情に近いと思います。例えば、満員電車で通勤し、みんなが同じ場所で同じように働くような様式は変えていかなければ、と何年も前から言われていた。にもかかわらず、それを決定できる管理する側の人からはこれまでのやり方のほうが都合がいいので、その解決はずっと後回しにされてきたわけです。こうした状況が少しでも変わるきっかけになったのは、社会にとって大きかったように思います。

衣服においても、みんながスーツを着用し、ネクタイを締めて革靴を履くという励行が長年続いてきたけれど、徐々に緩和されてきています。このままさらに時代が進めば、今以上に仕事着はラフなものになっていくでしょう。スーツを着る機会は、限られた式典などの場所以外にはなくなっていくはずです。ただ、スーツでもスポーツウェアでもない、大人が仕事をする時に着用する、男性、女性、その他の多様な性についてもしっくりくる服はいまだみつかってないように思います。ジェンダーをはじめとした多様性を認めていこうという社会において、一律に服装を規定することは矛盾を感じます。だからといってバラバラで何を着てもいいということにもならないとも思うんですね。これからの衣服は、そこでアイデアを求められていくように思いました。

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公開日:2022年02月22日