「これからの社会、これからの住まい 2」のはじめに

「バラバラな他者が共存する」ということの意味(後篇)

浅子佳英(建築家、プリントアンドビルド)+中川エリカ(建築家、中川エリカ建築設計事務所)

中川氏

中川エリカ氏

浅子佳英氏

浅子佳英氏



多様な価値観を包摂する時代の空間

浅子佳英

後篇では、より具体的に住まいと社会の関係性や、働き方や子育てについて焦点を当ててお話ししたいと思います。現代は、誰もがバラバラであることがわかってしまった時代だと思うんですね。というのも、僕が子どもだった昭和の時代には、お父さんが外に働きに出て、お母さんは専業主婦で家にいて、子どもは大学まで進学してから企業に就職する、というような価値観が社会で広く共有されていました。それは良かった面もあるのでしょうが、当時から僕は、ひとつの価値観やゴールしかない社会は息苦しいと感じていました。そもそも人間は、一人ひとり違うわけで、バラバラであること自体を嘆いてもしょうがない。まったくその逆に、バラバラであることを嘆かわしいものとして捉えるのではなく、ポジティブに捉えれば、真の意味で多様な価値観を認める社会──多様な価値観など認めないという人まで包摂する社会──が実現しようとしているともいえるんじゃないか。

このような前提に立つと、現代というグローバリズム時代の建築は、多様な価値観をもった知らない者同士が共存する空間はいかにして実現できるのかということが重要なテーマになると思っています。そして、中川さんの建築はその問いに答えようとしているように見える。自分とまったく違う価値観の人にも寛容になれる空間というのは、ひとつの全体に回収されないバラバラな空間でしょう。前篇で什器と建築ではスケールが違うと意地悪なツッコミをしてしまいましたが、本来バラバラな空間をつくるなら、小さな建物よりも大きな建物のほうがうまくいくはずです。住宅のなかの多様性といってもたかが知れていますから。バラバラで多様な人たちを受け止める空間を実現するなら、大きなパブリックな建築のほうがインパクトがあることは言うまでもないでしょう。

僕の大好きな空間に、コム・デ・ギャルソンの川久保玲が2004年にロンドンにつくった「ドーバーストリートマーケット」というショップがあります。そこはストリートブランドからハイブランドまでがごちゃ混ぜになった変わったショップなのですが、コンセプトが「Beautiful Chaos(美しいカオス)」というんですね。入れるブランドなどはディレクションをするコム・デ・ギャルソンが決めているでしょうし、ブランドのロゴやサインは出してはいけないなど最低限のルールはあるようなのですが、それ以外は各店舗に一任しているらしく、それぞれのお店が独自のカラーを出すことで、じつにカオティックな空間が実現している。ある意味、グローバリゼーションの時代の多様性を最も色濃く感じられる空間なのですが、「Beautiful Chaos」というコンセプトは、いまだ美しいと認められないものに美を見出そうとする中川さんの建築の「ガラクタ感」にもつながるような気がします。

中川エリカ

みんなが美しいとすでに知っているものをつくることは目標が明瞭で、筋道がわかっていることも多い。しかし私たちは筋道自体をつくりたいという気持ちがあるので、こういうものもじつは魅力的なんじゃないかと、新たに掘り起こしながら提案していくことに可能性を見出しています。そうして発見されたまだ美と認められていないものを、モノとしてどう表現するか、さらにはモノからどう議論や批評を引き出せるかということを実践しているのだと思います。

私たちの建築は、ポジティブなことから批判的なことまで、さまざまなご意見をいただきます。ただ私としては、褒められてばかりいるとまだ若手なのに先が見えてしまうような気がして(笑)、賛否両方あることが重要だと考えています。これはよくスタッフにも話すことなのですが、Y-GSA(横浜国立大学大学院・建築都市スクール)で助手をしていた頃、小嶋一浩さんが、みんなが同じ意見を言う建築は秀作や名作かもしれないけれど傑作とはいえない。人によって違う意見が出てくるものこそ傑作なんだ、自分はそういう建築をつくりたい、とおっしゃっていて、すごく影響を受けましたね。

浅子

さすが小嶋さんですね、やはりいいこと言いますね。

中川

その話を聞いてから、Twitterなど責任が発生しない場はともかくとして、公の場でさまざまな切り口の批評が出てくることをそれまで以上に大事にするようになりましたし、そういう状況を引き出す建築をつくらなくちゃいけないという問題意識をもっています。

ワンルームの幻想と個室化

浅子

ただ、中川さんの建築というのは、《桃山ハウス》にしても《ライゾマティクス新オフィス移転計画》にしても、基本的にはワンルームですよね。バラバラな空間と言いながら、ある意味で「ガラクタ感」的というただひとつの美意識が貫かれた空間だという見方もできる。なぜ、こんなことを言うのかというと、建築家にはワンルーム幻想があると思うからです。とくに住宅の設計では、一般的な◯LDKという個室ごとに切り分けられた普通の間取りは、建築作品としては良くなくて、時には風呂やトイレまでもがオープンなプランをつくろうとする。そして、収納が極端に少ない住まいもある。ただ、設計する立場としては、その理由もわからないわけではありません。というのも、安易に平面図の中に収納を置いてしまうと、その中は家の中のブラックボックスになり、どうもそこだけが考えられていない場所として残ってしまうからです。

とはいえ、僕は子どもという他者との生活がはじまり、ワンルームだけでは解けないんじゃないかと考えが変わってきました。実際、自分の家も複数の小さな部屋と大きなワンルームという2つの構成にしています。そして僕が設計に関わった《八戸市新美術館》(西澤徹夫・森純平との共同設計、2021)もある意味では同じ問題意識で設計しいて、ジャイアントルームという大きなパブリック・スペースと専門性の高い個室群という2種類の空間を用意して、それでようやく多様性が担保できると考えています。中川さんの建築はそもそもバラバラな空間なので、一般的なワンルームに比べれば多様な空間になっていると思いますが、今後より大きくパブリックな建築を手掛けるとなると、ワンルームとは別の解き方が必用になるんじゃないか。

ジャイアントルーム

《八戸市新美術館》のジャイアントルーム。スタッフの打ち合わせや展示やワークショップなど多目的に使用できる巨大な空間
提供=西澤徹夫建築事務所+タカバンスタジオ(現プリントアンドビルド)+森純平

バラバラな個室群

《八戸市新美術館》専門性の高い個室群。映像展示に特化したブラックキューブや制作のためのアトリエなど、各機能に特化したしつらえを持った室を複数用意している
提供=西澤徹夫建築事務所+タカバンスタジオ(現プリントアンドビルド)+森純平

中川

そうですね、おそらく規模の問題もあります。これまで手がけてきた500平米くらいまでの規模であれば、ワンルームでも解きやすかった。独立してからこれまでの設計では、ワンルームであっても、そのなかに不均質さをもたらすことで、これまでと違うワンルーム、これまでと違う境界、これまでと違う同時多発性を生み出すことを目指してきたところがあります。ただ、もっと大きな規模になったときに、ワンルームでは解決できない問題に直面していくことになるという予感はすでにあります。いま手掛けているクリニックは2,000平米なので、当然のことですが、ワンルームではつくれません。いろいろな快適性や合理性が想定される状況に対してワンルームで対応しようとしても限界があるので、単位を切り分けながら、快適さの質ごとにまとまっている状態をどうつくれるかを考えて設計していきました。だからこそすごく苦労した面もあります。

浅子

住宅であれば子どもの有無や年齢によっても変わってきますよね。

中川

子どもが小さいうちは、ワンルームで十分だし、むしろ快適だと思うのですが、大きくなると、そうもいかなくなる。ただ、お付き合いのあるお施主さんのご要望を振り返ってみると、個室をメインにしようという人は減っている気がします。とはいっても、個室を完全になくそうということにもならなくて、お互いの気配を感じながらプライバシーを確保したいというのが、複数のお施主さんに共通して見られる傾向ではないでしょうか。

浅子

住宅の設計をしていると「家族の気配を感じられる空間」とよく言われますが、そもそも現代では、家族団欒の時間を持つことが、難しくなっていますよね。両親が共働きだったり、子どもは塾で忙しかったり、家にいてもテレビではなくiPadでNetflixばかり見ているような状況だと、一緒にいる意味が希薄になる。逆に言えば、希薄になっているからこそ、家族の気配を感じられる空間が求められているという側面もある気がします。

しかし、いまのような時代に、家族が集まれる空間というのは本当に不可欠なものなのか。極端にいえば、充実した個室さえあればリビングルームがなくてもいいという考えもあり得るんじゃないか。むしろ多様性が求められるいまの社会には合っているといえないでしょうか。

中川

コロナの影響なのか、住宅に限らず、オフィスでも同じような議論があるように感じます。例えば、エンジニアのように個人作業がベースの会社の場合、オフィスに来る動機は家ではできない集中作業をしたいから。そうなるとオフィスは個室化していく傾向にあります。逆にミーティングのような、これまでひとつの空間に集まることを前提にしていたものはZoomを使って会社以外の場所、例えば住宅からリモートでできるようになる。そうなると違う業種の会社、議論しながら新しい価値を生み出すような仕事の会社では、集まるための動機付けが必要で、オフィスを住宅よりも快適なリビング化していこうという動きも出てくる。そういう意味では、現在は個室化に向かう流れと、リビング化する流れの両方が見られるといったほうがいいかもしれません。

浅子

やはり、今の多様な社会を考えると、バラバラの要求に答えられる個室群とバラバラの人が集まるための空間の両方を用意するのがひとつの答えになる気がします。

現状を批判的に見るためのリサーチ

浅子

せっかくの機会ですので、ひとつ質問をさせてください。建築史家の青井哲人さんが『新建築住宅特集』2011年4月号に「小さなピクチャレスク」というエッセイを発表されています。そのなかで青井さんは、リサーチを前提とした住宅が増えていて、都市の環境を繊細に読み解きながら設計をする手法が定着しつつあると書かれています。ただ、そこで蓄積された解法のレパートリーがアーカイブとして有用であることを認めつつも、青井さんはそのようなリサーチから出発した住宅の設計が、結局は大きなシステムを補強することにしかならないのではないかと問題提起されているんですね。現代の都市は、目には見えないけれど、じつは法規や既存のネットワークや人々の振る舞いなど、さまざまなルールによって成り立っている。それを詳細にリサーチして設計に活かすことは、そうしたルールをそのまま適用してしまうことにならないか。たとえそのルールに問題があったとしても、それを変えていこうと思わなくなるどころか、より既存のルールを強固に補強することにつながるのではないか、というわけです。リサーチに対するとても鋭い批評だと思うのですが、中川さんはどう思われますか。

中川

大事なのはリサーチに対してどういうスタンスを取るか、どういう働きを求めるか、ということだと思うんです。今その場で起こっていることを記述するためにリサーチを行うと、今ご指摘にあった通り、既存のルールに絡め取られてしまう。かつてのパタン・ランゲージやデザイン・サーヴェイなどは、目の前にあるものをどう記述するかという方法論だったために、設計には結びつけにくい面があったように思うんです。けれども、現状を批判的に見るため、もしくは現状の法則を見出しながらそれを乗り越えたり展開させるためにリサーチを行うのであれば、それは設計と同じくらいの強度を持ちうるものになるはずです。

私は学生の頃、北山恒さんから、建築を敷地のなかだけでなく環境のなかで考えることの重要性を叩き込まれました。北山さんは、リサーチやマッピングをすることの重要性を説かれていて、敷地の外側に建築をつくるアリバイを見つけてきなさい、何がその街の特異点なのかを探してきなさいという指導をされていました。みんなが共有している当たり前のルール、それ自体というより、むしろそれを疑い、回収されない価値を探しだすことがリサーチの醍醐味であり、次のステップ、設計につながるというわけです。

つまり、リサーチをしたから正しい設計になるはずだというように単なるアリバイづくりとしてリサーチを行うことは本末転倒で、エンジンにしなければならないということです。リサーチと設計のどちらが大事かということではなく、それらを切り分けずに連続して思考することが大事だと思うんです。

浅子

今はリサーチの方法が単純化されすぎていて、あらかじめ問いと答えがセットになってしまっている部分がありますよね。日本全国、同じような問題と同じような答えがあるだけで、それを規定するシステムやルールについては問い直されることがない。その結果、同じようなまちづくりが全国で行われて、カフェやギャラリーばかりが提案される。リサーチを行うにしても、いまはまったく別のアプローチが求められていると感じます。

中川

卒業設計の講評会などでよく見られるのは、リサーチの成果物をパターンに分けたり、そのなかからいくつかの法則を導いて設計に結びつけたりする方法です。もしかすると、その抽象化の仕方がルール化されすぎている面があるのかもしれませんね。リサーチ自体、もしくはリサーチと設計の結びつけ方に、もっと想像力を働かせたり、抽象化しないで具体的なまま扱ったりするというような別のアプローチが必要なのだと思います。

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公開日:2021年06月23日