鼎談 1

持続可能な共有資源と、ネットワークとしての建築

連勇太朗(建築家、CHAr)+貝島桃代(建築家、アトリエ・ワン)+門脇耕三(建築構法、建築設計、アソシエイツ)

連勇太朗氏、貝島桃代氏、門脇耕三氏

左から、連勇太朗氏、貝島桃代氏、門脇耕三氏



ビジネスの力、モノのコト化、デュレーション

これまでに挙げられた問題提起を整理すると、「既存のものを組み替える」行為がこれから建築の新しいパラダイムになっていくとして、具体的にどうやって実践し定着させていくのか、その手法や表現のバリエーションの議論として捉えられますね。大雑把に2つのパターンに分けてみます。ひとつめは、ビジネスの力でそれをシステム化し、社会に拡大していく方法です。私の関心や実践は、ここに属していると思います。ふたつめは、先ほど門脇さんがお話しされた「モノのコト化」です。不可視な情報を顕在化させ、アクセス可能にする方法と言ってよいでしょう。

ここにもうひとつ、新たに付け加えたいのがデュレーション(Duration/時間の継続、持続)というキーワードです。ある対象物や地域に持続的にコミットしていくことの重要性を感じ、最近私が頻繁に使っている言葉ですが、これはスケールの拡大とは別の次元で重要です。なぜそれが大事かといえば、従来の請負モデルのような、一回性あるいは断片的な時間概念では、ネットワーク自体が持続し、生成されていかないからです。専門家自身がネットワークのアクターのひとつであり、既存の体系を組み替えるということは実践者自らがネットワークに影響を与えるし、自らも影響を受け変化していく。ネットワークの本質的変化を期待する場合、デュレーションのデザインが必須になります。こうした世界観あるいは認識論に基づいて対象に持続的に関わりつづけ、ものづくりを実践していくことが重要なのではないでしょうか。

貝島

そうですね、とても大事な視点だと思います。デュレーションあるいはデュラビリティ(Durability/耐久性、永続性)は、実際に現在ETHZ内のスタジオでもテーマに掲げられ議論がなされています。近代以前の建築においては場所(Place)という概念が重要でした。固定的であり、そこにしかないものが重視された。20世紀になると、空間(Space)や時間(Time)という概念に関心が向けられるようになるわけですが、これらは交換可能な数字によって、ある意味で情報化することができるものとして扱われました。これによって全地球的な産業化が可能になったし、場所と時間を管理し、計画を立て、将来を見越したヴィジョンを形成・共有することができるようになった。生産にまっすぐ突き進むことが最大に評価された世界では、そのような思考は効率的だったでしょう。そのことに建築が大きく寄与した時代です。しかしこうした20世紀的な価値観の限界が見えている私たちはこれからどう振る舞うべきなのか、新たな概念を創出すべき段階に入っていると思います。この切迫した状況において、必然的にデュレーションあるいはデュラビリティが要請されているのだと思います。

しかし、ひとえにデュレーションあるいはデュラビリティと言っても、スイスと日本ではその議論内容は大きく異なるでしょう。スイスはヨーロッパのど真ん中のたいへん小さな国家で、土地は隅々まで計画され尽くしています。だからこそ余計に、経済的に換金できない、未来に残すに値する新しい社会や価値観の創造が求められる。一方日本では、単純に手つかずの自然を残していくという選択肢も十分に考えられるし、もしかしたらスイスよりも日本のほうが、経済的な負荷の少ない価値観が構築できる可能性があるかもしれません。ただ、いずれにしても、いきなり従来と異なるシステムや価値観へ転換することは難しいし、移行期間が必要な長期戦になるとも思っています。

そうですね。スイスと日本の比較も興味深いです、日本の可能性が逆説的に見えてくる気がしました。貝島さんがおっしゃったような、今までの経済原理や価値観とは違うシステムが必要だというコンセンサスは、私の属しているコミュニティのなかでもかなり強く共感されているという実感があります。一方で、都市では今も日常的にスクラップ・アンド・ビルドや大規模な再開発が続けられているし、普段の生活のなかでも、資本主義のシステムや市場の原理がますます前景化し強くなっていっている感覚があります。われわれが強く抱いている問題意識と実社会の乖離あるいは分断を、建築家はどのように縫い合わせられるのか。非常に悩ましいです。

そこでお聞きしたいのが、かつてアトリエ・ワンが提示したネットワークのダイアグラム(「民族誌的連関と産業社会的連関の対比」図)のことです。エスノグラフィカル・ネットワーク(Ethnographical Network)の円と、 インダストリアル・ネットワーク(Industrial Network)の円が重なり合い、その真ん中がハイブリッド(Hybrid)の集合で、21世紀はこの重なっている部分を新たな理念としていくという内容です。この見取り図は今日の議論のヒントになると思うので、貝島さんから説明をいただけますか。

「民族誌的連関と産業社会的連関の対比」図

「民族誌的連関と産業社会的連関の対比」図
提供=貝島桃代

貝島

ありがとうございます。インダストリアル・ネットワークは、建築という産業の専門性が高まり、占有し、抱え込まれている状態における連関を指します。対して、それ以前の世界におけるエスノグラフィカル・ネットワークは、場所に根ざした暮らし方を基盤として形成され、固有かつ有限な土地や資源を資本として構築されていた連関です。しかしそれは自由経済の発達によって、従来の分配が崩壊してしまっている。こうした暮らし方における、交流や流通、交換、移動や贈与といった関係性=ネットワークを再び構築することがそのまま有効であるとは思いませんが、現在のネットワークにはない重要な要素を多く含んでもいる。つまり私たちは、その中間であるハイブリッドを積極的に考え議論していくべきだ、というイメージです。

「兵士」から「名づけ」へ、「空間」から「モノ」へ

門脇

連さんが提示された問題意識と実社会の乖離については、実際に多くの人が感じとっているでしょう。貝島さんから「長期戦になる」だろうというお話がありましたが、僕もそう考えています。加えて、自分はどのようなアプローチをするか、つまり戦い方も意識しておく必要がある。

例えばそのひとつが、建築を通じて認識の変化を促し、徐々に倫理観を変化させていく方法です。アトリエ・ワンが建築を通して長年取り組んでこられたことは、それまで見えていなかったタイポロジーに目を向かせることによって、私たちの認識世界を変えていくチャレンジでした。また、僕が日本館でやったことは、固有化によって代替不可能性を示していくことです。そもそも建物が簡単に取り壊されるのは、市場の論理に対してわれわれの規範や倫理観が脆弱化しているからです。しかしなぜ倫理のほうが負けてしまうような世界になったのかといえば、それはやはり、建築を「兵士」的に、要するに量のなかのひとつとして、代替可能な「駒」として扱うような近代建築教育の結果なのだと思います。僕の名づけの行為は、一つひとつのものに情報を与え直すことで、それらが置き換えができないものなのだという認識に改めていく試みだった。

もちろん、すべてを計算可能にし、数に還元したことは近代の成果のひとつでもあります。まさに貝島さんがおっしゃったように、それによってかつての閉鎖的な村落共同体のようだった世界から抜け出し、誰もが自由に往来可能な社会を構築することができたのですから。問題はそのうえで、デュラビリティをどう考えるか。ある時間や場所に紐づけるのではなく、新しい建築を考える視点としてモノに着目することも、脱着可能な世界をつくることにつながるように思います。過去の建築の価値の見出し方とは、ある場所にずっと立ちつづけているとか、変わらずに形態を保っているといった視点に立ったものがほとんどでした。まさに、時間や場所に紐づいていたわけです。しかし素材を単にマテリアルに還元したうえで、再利用している日本館の試みによって、そうではない資源へのアクセスの仕方がわかってきた気がしました。場所に固定されるのではなく、モノの視点になってみることが、ネットワークやコミュニティの臨界点をあぶり出すためには非常に大事なことだと思います。

貝島

アトリエ・ワンがやっているのは認識論的なのかもしれないけれど、長年工科大学に属しているためか、私は最近数字やデータにも関心を持っています。状況を的確に評価できる数字のようなものを示していくことの重要性も、やはり感じているんです。しかしそれは門脇さんの言う「兵士」的な方法ではなく、クリエイティブでなければならない。具体的にどうすることなのかはもう少し考えていきたいところですが、少なくとも、今の暮らしをただ維持することを目的とするようなデータの使い方ではなく、未来の可能性を示すようなものでなければならないでしょう。ただ倫理観を唱えたり、恐怖感を煽るようなやり方ではなく、クリエイティブな可能性を表現することは、私たち建築家にとって可能な作業だと思っています。

理論的にはあらゆるものがデータ化可能な世界のなかで、情報そのものの扱い方やそれそのものの質を考えることはとても面白いテーマだと思います。例えば、映像データひとつをとっても、中国の都市で設置される監視カメラのように人々を管理する性質のものもあれば、映像エスノグラフィのように特定の人々の振る舞いや場所に結びついた行為を記録し発見するような性質のものもある。データをいかに拾い上げ、新しい価値を見出す使い方ができるかが問題であり、現代はその可能性も大いにありますね。門脇さんの日本館での「名付け」も、まさにデータの読み替え作業でもあったのだと思います。貝島さんのドローイングも、もしかしたらそうなのかもしれません。場所や空間、人々を資源として捉え直していく技法ですね。

また、門脇さんが最後に提案された、空間や場所との結びつきを一度取り払い、モノに着目するような知性のあり方も考えていくべきですね。アメリカの法学者であるローレンス・レッシグ(Lawrence Lessig)が、現代の社会ではあらゆるものは資源になりえる、しかし問題はそれを「どのように」資源として扱うのか、その方法が大事であると言っています。これは倫理的なレベルに関わる話です。「モノをコト化」するだけでは不十分で、それをどのように資源として共有したり、流通させるのか、それが問われているということだと思います。例えば古着の流通を見ても、大量消費型の古着店と、固有の記憶や情報を丁寧に扱ったセレクトショップ的な古着店、両方が私たちの社会にはある。両方とも古着を資源として扱っていることには変わりがないのですが、どのような情報を資源に対して紐づけ価値づけているのか、作法が大きく違います。建築においては、それが特定の空間や場所といった領域や範囲を剥ぎ取った場合に、どう実践可能なのかとても興味があります。

貝島

まだレクチャーでしか見せていないものですが、私が描いているアクターネットワークのドローイングがあるんです。それは18〜21世紀の地球を描いており、そこでは、情報世界上での地球の情報量と、現実の地球の空間や時間が持っている情報量のギャップをどう埋めるかを思案しています。そのなかで、「圏内」が設定されている。例えばそれはEUのような移動可能な範囲やネットワークの場合もあれば、地理的な条件設定によって地球を分割する仕組みの場合もある。つまり文化圏であり、生活圏であり、いま議題になっている新しい流通や暮らしにおけるものの移動の範囲を指します。

アクターネットワークのドローイング。18?21世紀の地球

アクターネットワークのドローイング。18〜21世紀の地球

アクターネットワークのドローイング。18〜21世紀の地球

アクターネットワークのドローイング。18〜21世紀の地球

アクターネットワークのドローイング。18〜21世紀の地球
すべて提供=貝島桃代

国家という単位を超えて交換を行うには、地球環境においてどのような分配のテリトリーをつくるのがふさわしいか。場所をどのような広さで捉えていくべきか。それらはひとつに収斂せず、オーバーラップすることもあるかもしれませんが、しかしその範囲をもっと認識できるようになるといいと思っています。実際は、ドローイング上に描いている範囲の外側にだって、世界は広がりつながっている。それをどう表現し、そこで起きている問題をあぶり出すことがドローイングには可能なのか、あるいは不可能なのか、私はそのことを実際に試しています。

最後のお話は、そもそもコモンズとしての環境やネットワークをどの範囲で捉えていくか、というお話だとも思いました。アメリカの政治・経済学者エリノア・オストロム(Elinor Ostrom)は持続可能な共有資源(CPR、Common-Pool Resource)を運用する8つの設計原理を挙げていますが、その重要な条件のひとつが「境界:CPRから資源を引き出す個人もしくはコミュニティの境界が明確である」ことでした。貝島さんが今おっしゃったことと繋がる話かもしれません。

コモンズの構成員自体は、伝統的には空間的に把握されていたけれど、今の産業化した社会では、もっと複雑な境界の引き方が必要です。もしかしたらそのときに、ネットワーク的な記述方法が必要になってくるし、情報化においては今までとはまったく違った構成員の定義をしなければならない局面が実際に出てきています。こうした新たなコモンズの形態をどうやって認識し、どう貝島さんのおっしゃる「圏内」を定義していくかは、まさに「空間」を伝統的に扱ってきた建築家の新しい知性のあり方として、とても大きなチャレンジになるような気がしました。

本日はありがとうございました。





[2022年4月7日、Zoomにて/構成=贄川雪]



連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

1987年生まれ。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012〜)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版、2017)など。 http://studiochar.jp

貝島桃代(かいじま・ももよ)

1969年生まれ。1992年、塚本由晴とアトリエ・ワン設立。2009〜22年、筑波大学准教授。2017年、スイス連邦工科大学チューリッヒ校教授。主な作品=《ミニハウス》(1999)、《ハウス&アトリエ・ワン》(2005)、《ホームベース》(2022)など。主な著書=『建築からみた まち いえ たてもののシナリオ』(LIXIL出版、2010)、『第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館 建築の民族誌』(TOTO出版、2018)など。 http://www.bow-wow.jp

門脇耕三(かどわき・こうぞう)

1977年生まれ。明治大学准教授。アソシエイツパートナー。建築構法、建築設計。近代に入ってから失われた、細部の豊かさを根拠とする建築のあり方を見出すべく、理論と実践を積み重ねている。「第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館」(2021)キュレーター。主な作品=《門脇邸》(2018)など。編著書=『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』(LIXIL出版、2015)など。 https://www.kkad.org

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公開日:2022年05月25日