社会と住まいを考える(海外) 1

オランダ、フローニンゲン──北縁の集落、クロースターブールンで起こっていること

吉良森子(建築家)

住民の組合が運営する老人ホーム

アムステルダムから車で北に向かって2時間余り、北海のすぐ近くにクロースターブールン(Kloosterburen)という人口600人余りの小さな集落がある。クロースターブールンの位置するフローニンゲン州の北部の歴史は古く、オランダにキリスト教が伝わってきた11世紀に遡る。修道士の指導のもと、北海の潮の満ち引きと風の力によって寄せ集められた海底の肥沃な土壌が開拓され、ロマネスク様式の教会を中心にいくつもの集落が形成された。クロースターブールンはそんな集落のひとつだ。

クロースターブールン

クロースターブールン
出典=AEROPHOTO EELDE

1歳から100歳まで誰もが参加できるコミュニティ

過疎化、高齢化に対して、オランダ政府は2000年以降社会サービスの集約と規模拡大を進めてきたが、この流れに反して、小さなスケールの社会サービスこそが人間的であり、複数のサービスを組み合わせれば、人口減少地区でも維持することができる、と考えるクロースターブールンの住民たちが2006年に「シントヤン」というNPOを設立する。小さな集落では誰もが自然に顔見知りになるので、障害者でも高齢者でもコミュニティの一員として貢献しながら暮らしていくことができる。1歳から100歳まで誰もが参加できるコミュニティこそが生活のクオリティを担保するものであり、規模拡大を善と考えるのは経済的なロジックであって人間的な価値を高めるものではない、とシントヤンは主張してきた。

シントヤンは2004年に障害者のデイケアセンターを利用者8人で発足し、2010年には空室を抱える老人ホームの一部を障害者のグループホームとして借り受けた。この時点ではシントヤンが住民とともに運動を起こし、自治体と福祉事業者が住民の考えを受け入れ、住民はボランティアとしてケアをサポートする、という仕組みで、実際の運営は福祉事業者が行っていた。デイケアで活動する障害者たちは、自治体から依頼を受けてメンテナンスされていなかった集落の広場の清掃や芝刈りを行ったり、近隣の高齢者のサポートや人手の足りない農家で働いたりして、デイケアの事業収入は安定し、コミュニティにとって障害者の活動はなくてはならない存在となった。シントヤンが信じる通り、小規模なデイケアでも運営が可能であり、障害者がコミュニティの一員として暮らす仕組みを実現する最初のステップだった。シントヤンは2014年には自治体の予算削減によって荒れ果てていた教会の庭園をコミュニティ菜園として整備するプロジェクトを実現し、これまで高齢者や障害者の活動と考えられてきたコミュニティ活動に子育て世代をはじめとする多様な住民が参加するようになる。2015年の住民組合の設立と老人ホームの運営主体となることに対する住民のコンセンサスの基盤となった。そしてこれらの活動は老人ホームの買収とともにすべて住民組合による運営に移行した。

障害者のデイケア+グループホーム(筆者撮影)

障害者のデイケア+グループホーム
以下提供=筆者

子ども農園の運営(筆者撮影)

子ども農園の運営

毎年6月末に開かれるマーケット

毎年6月末に開かれるマーケット

独立しているけれど、孤立しない

老人ホームの買収が決定された直後の組合の全体集会で、私はそれまで住民とともにスタディしてきた老人ホームの将来の可能性について話をした。今は老人ホームだけれど、大改築をしなくても、集合住宅としてさまざまな人が住むことができるし、共有空間は保育園やレストラン、アトリエ、店舗などと組み合わせることで、コミュニティの中心として生まれ変わることができる。すると「ケアを必要としない高齢者も住めるのだとしたら、それぞれの住民のポストをつくってもらえますか?」という質問を受けた。老人ホームでは郵便ポストはひとつで、スタッフが部屋に配るけれど、そうではなくて、入り口に自分のポストがあって、郵便は自分で取りに行きたい、と言うのだ。私はなるほど、と思った。ホームの一員としてではなく、自分の家として住みたい、ということなのだ。シントヤンの信条として掲げられている、誰もが社会の一員として、ということはこういうことなのだ。高齢者だから、障害者だから、私たちは何かとラベルを貼って区別するけれど、誰もが、自分のアイデンティティが尊重されることを望んでいる。

老人ホームのもともとの構成

老人ホームのもともとの構成

コミュニティの中心となった施設のプラン

コミュニティの中心となった施設のプラン

運営が始まって1年も経たずに、老人ホームには多少のサポートを必要とする高齢者や単身者、シングルマザーなど、独立しているけれど、孤立しない暮らしを希望する人たちが暮らすようになり、1階の共有空間の一部が保育園になり、小さな図書館ができて、食堂は近隣に住む高齢者や希望者の食事のデリバリーを行うようになった。エステティックサロン、子どもたちのミュージックスクールとして借りている人もいる。これまで終の住処としてコミュニティとのつながりが薄かった老人ホームはあっという間にコミュニティの中心に変貌し、これからも展開していくだろう。

地方の小さな集落は昔からその地域に根付いた人たちによって閉鎖的で伝統的な暮らしが営まれていると都市生活者は考えがちだが、それは偏見だ。かつてキリスト教徒が海から渡ってきたように、クロースターブールンには昔から移住者が多く、近年は良好な環境と安価な住宅に魅せられて都市部から移住する人々が増えている。アーティスト、若い農家、インターネットを通したビジネスを行う人、定年退職者などそのバックグラウンドは多様で、単身者も多い。クロースターブールンと5年余り関わって実感するのは、どのような状況にあっても、何歳になっても、誰もがコミュニティに参加しながら独立した暮らしを持続することを希望している、ということだ。コミュニティの中心として生まれかわった老人ホームではさまざまな機能や暮らし方が混在しているように見えるけれど、自分の家は自分の家であり、共有空間は広場や菜園のように誰もがコミュニティの一員として参加することができる社会的な場所だ。自分自身であること、そして他者との関わりのなかに自分の存在を認めることができること、その両方があることが人間らしい暮らしなのだ。それぞれの空間のあり方、つながり方は場所によって、時代によって異なるかもしれないが、社会的、空間的な文脈を見極めながら双方の場とそのつながりをつくっていくことも私たち建築家の職能だと思う。

吉良森子(きら・もりこ)

建築家。1965年東京生まれ。1989年デルフト工科大学留学。1990年早稲田大学建築学科大学院卒業。1992-96年ベン・ファン・ベルケル建築事務所勤務(Un studio)。1996年アムステルダムに建築事務所設立。主な作品=《キャトル柿の木坂》(東京)、《アイブルグの集合住宅》(アムステルダム)ほか。2000年よりアムステルダム建築アカデミー講師。2010年より神戸芸術工科大学環境建築学科客員教授。

このコラムの関連キーワード

公開日:2020年07月29日