社会と住まいを考える(国内) 4

「ひとまず結びつけておく」技術

木村吉成+松本尚子(建築家、木村松本建築設計事務所)

私たちにとって、設計することと生活することは連続している。設計事例と日々の生活を通じて、社会と住まいを考えたい。

《house A/shop B》(2016)

《house A/shop B》

撮影=大竹央祐

上賀茂神社のそばに建つ併用住宅(住宅+ショップ+ファクトリー+カフェ)。クライアントは「bolts hardware store」という、自身がデザインしたドアハンドルや照明器具、世界中からセレクトした「住」にまつわるプロダクトを販売するショップを運営している。コアなファンが多くおり、買い物はオンラインが一般的になった今でもショップを訪れる人が絶えない。敷地は西側道路以外は全方位が建て詰まった、間口が狭く奥行の深いいわゆる「うなぎの寝床」である。奥行方向の空間的連続性を担保するために「ト型」の木造ラーメンを主体に半剛接金物を併用した魚骨フレームを敷地手前から奥に向けて、建物中央から偏心配置(南側)させた。そのモデュールは850/1,700ミリの寸法が交互するダブルグリッドである。道路からの引きや敷地奥の室外機スペースを確保しつつ、長辺方向の水平耐力と、柱一本あたりの支配面積などの計画的・構造的な合理を考えた。また1,700ミリという数字は法定の階段幅(750ミリ)を確保しつつ「行って来い」が可能になる数字でもある。このような建築的思考と操作によってできた架構は、結果として2分割したバシリカのような構成となった。プランは、グランドレベルではファクトリーを前面道路に開放し、ショップとカフェを奥に引き込んでいる。1階主空間の天井高さは中2階分も含めた2層分を有しており、2階の住領域への距離を物理的に実現している。敷地と環境に最適化した架構のまわりに建具、家具の裏地材を転用した内壁、FRP折板などの部材が真壁・アウトセットの関係で取り付き、施主の商品や生活の家具・道具もそれらと同列に架構の中に場所をそれぞれ定めている。

《house A/shop B》

ともに撮影=大竹央祐

《house A/shop B》

都市型住宅のタイポロジーである「京町家」で行われていた生業と暮らしの一体化は、都市のなかの個人領域に複数の人やモノの関わりを生み出す。複数の主体とその活動が一対一以上の関係を許容する場合、その場所は非常に多義な性格を帯びることになる。《house A/shop B》ではそういった京町家のエッセンスを引き受け、現代の特徴である流動性を併せ持つ多産な場となることを目指した計画だった。 ところで竣工当時、隣接する北側敷地への拡張を視野に入れていた(そのための構造的アイデアでもあった)ものの土地取得は理想の話だった。しかしつい最近入手することができ、将来の拡張に向けゆっくりと計画が進んでいる。

《house A》(2019)

クライアントは大阪と京都の中間に位置する利便性の高い駅前マンションで暮らしていた。しかし土や植物に近い、自然と地続きな関係を望みそこを手放し土地を購入した。手に入れた土地は1960年代に開発分譲された山裾の宅地である。古い家屋が建ち、北に向かって傾斜している。高低差のついた崖部分には鉄骨製のデッキが張り出し、その上には小屋が、崖の石積みや長く放置された草木とともに散漫な状態であった。新しい建物を計画するにあたって、古い家屋を解体撤去する以外は草木を含むそれら庭の残存物をほとんど残した。敷地面積にゆとりがあったのと、撤去に費用もかかってくるため「とりあえず」残しておき、後でどうするか考えようと思ったからだ。しかしそのとりあえずの判断は計画に大きく影響を与えることになる。道路から敷地奥(崖側)に向けての抜け感や遠景を建物と関係づける際、それら残存物はある種「雑」な要素としてそこに横たわる。しかしそれらの情景は近隣の旧集落に見られる民家や田畑の風景と馴染み深く、この地域が持つおおらかさの一端になると判断したため、周辺環境の一要素に格上げして計画を進めることにした。

《house A》

撮影=木村松本建築設計事務所

《house A》

撮影=木村松本建築設計事務所

狭小な都市型の住宅とは異なり、郊外型の住宅計画においては近隣住戸との距離感が計画において決定的な判断を与える要素とはなりにくい。ここではあらかじめ考えたプロトタイプを敷地に据える段階で適宜調整するようなプロセスをとった。フラットな基礎スラブ、あるいは2階床梁の中央列に柱が並び、その頂部から両サイドにブレースを下ろすシンメトリーの断面形状。この基本形が敷地に据えられたとき、土地に内在する高低差を吸収することでアシンメトリーに変形したプラットフォーム空間を形成する。またこの建物の大きなキャラクターである、前後の庭にそれぞれ約2.7メートル張り出した鉄骨とFRPでできた庇の下は、それぞれの庭の性格を助長する。道路に面した南庭側はエントランスや車に関係するものが出入りする場所になり、崖に面した北庭側は地面からの距離が高いため雨が入り込み、人が使うだけでなく未舗装の部分に虫や植物が生息する場所になる。

《house A》

撮影=木村松本建築設計事務所

《house A》

撮影=木村松本建築設計事務所

この計画は「庭がほしい」というクライアントからの一見素朴な言葉から始まったのだが、現代の住宅における庭のあり方を再考するきっかけとなった。ここでクライアントと私たちが目指したのは、眺める対象、あるいは余暇を過ごすリビングの延長としての近代的な庭ではない。草木だけでなく食べられる野菜を育て、土をいじり、生活行為の一部を持ち出すことのできる空間、イメージとしては生産行為を満たす場として独立した機能を持つ前近代的な民家の庭のようなあり方だ。

《本野精吾邸》(1924)

2019年春、二条城近くにあった事務所(間口4.5メートル、奥行20メートルのワンルーム。元染物工場)を離れ、《旧本野精吾邸》(以下、《本野邸》)として知られる建物に移った。それは縁と偶然と必然がもたらした、私たちにとって思いがけない出来事だった。

この建物は本野精吾によって1924年(大正13年)に自邸として建てられた。《本野邸》は「中村鎮式コンクリートブロック」(以下、鎮ブロック)現しの外観が特徴である。また、洋式建築が主流であったこの時代、本野はそういった国家性とも言える様式美を排し、留学先のドイツで触れたモダニズムの思想、さらに軒や庇を出すというローカリティを根底におき、フレッシュでクレバーな建物を完成させた。また竣工年前年は10万人超の死者・行方不明者を出した関東大震災が起こった年である。鎮ブロックで建てられた建物がその震災を耐え抜いたことを本野は高く評価し、自邸建設に採用した。プランはセンターコア形式となっており、まわりを諸室がぐるりと囲むことで回遊性が与えられている。さらに建物の周囲を庭で囲むことで二重の円環が現れ、外壁に設けられた独特なプロポーションの開口部がその円環同士を繋いでいる。

《本野精吾邸》

撮影=大竹央祐

この住宅については多くの解説が必要なのだが、ここでは私たちの《本野邸》での日々について話したいと思う。仕事をするスペースはもっぱら2階で、1階はミーティングや食事、建物見学会など多目的に使っている。階高は低く(約2715ミリ・実測)、どの部屋からも窓越しに庭を身近に感じる。庭では草木が季節の花や果実を実らせ、それを目当てにさまざまな虫や鳥がここを訪れる。小さな池にはトンボやヤゴ、またウシガエルさえもやってくる! また今年から庭の一角を耕し野菜を育て始めた。お昼にはそこで採れた野菜を使って昼食をつくり、スタッフと会話を楽しみながら一緒に食べる。また私たちの娘が通う小学校はここから近く、学校帰りにやってきてはみんなが働く横で宿題をしたり漫画を読んだり自分の時間を過ごしている。時には友人の子どもたちを預かり学童保育所的なこともする。かねてから仕事と生活のよいバランスを考えたい、という想いがずっとあったのだが、《本野邸》への事務所移転でそれが叶った。

《本野精吾邸》

撮影=大竹央祐

2020年に入り、新型コロナウイルスの被害が徐々に拡大しつつあった頃、スタッフは4月7日の都市部での緊急事態宣言発令を待たずして全業務を在宅でやることに決めた。私たちは自宅が近いということもあり、《本野邸》に毎日出所し、これまでと変わらない日常を送るよう努めた。多くの人がそうであったように仕事、そして大学での教育もすべてオンラインになったが、想像以上にスムーズで効率よく仕事も進み、言いようのない奇妙さを感じた。春だというのに町はとても静かで、日々の活動を停止する生活と相まってか、それは私たちに「死」のイメージを想起させた。

ところが庭の植物や野菜はすくすくと育ち、鳥や蝶も変わらず訪れる。それらの動きは建物のなかにいても感じられ、死のイメージとは対照的な動き、「生」を感じさせた。その後、緊急事態宣言が解除され、マスク着用やオンライン会議が日常化した今振り返ると、その頃の私たちは《本野邸》とその庭に「救われていた」のだと思う。

思えば、住宅として設計された建物であるが本野らはここでダンスパーティを開いたり、またその子息たちは映画鑑賞会や音楽会などを行っていた。居間と食堂が一続きになった平面構成、そして取り囲む庭との関係がそれらを可能にしていて、本来個人の領域であったこの住宅は当初からすでに開かれていたのだった。

《本野精吾邸》

撮影=木村松本建築設計事務所

人や動植物が集まり、草木や野菜を育て、みんなで仕事をし、食事をする。事務所を働く場としてのみ捉えずに、日常(自宅)の延長として、あるいは関わる人々にとって離れのような場所として建築が、庭が人を生きさせることを考えている。

生きてゆくための場所

私たちは、問と解が最適に結びつき過ぎた社会に暮らしているとも言える。本来、問題解決のためのリソースは心身と環境が長い時間をかけて構築したサイクルのなかから取り出せたはずだが、有用性を過度に求め、無用なものは除外しすぎてしまった結果、未知なものに対する耐性が衰えているように思う。コロナ禍の現在、そういったシステムの脆弱性は可視化された。そのシステム自体を再考するために、役に立つかどうかわからないもの、「雑」なものへの判断を先延ばしにし「ひとまず結びつけておく」技術を考えたい。

生存戦略を練る拠点、社会全体の動向を見据えてゆく地点として「住まい」を位置づけること。そういった「生きてゆくための場所」をどのように設計できるか? この問をさまざまな人と共有したいと考えている。

木村吉成(きむら・よしなり)

1973年生まれ。大阪芸術大学准教授。

松本尚子(まつもと・なおこ)

1975年生まれ。大阪市立大学等で非常講師。
2003年木村松本建築設計事務所設立。主な作品=《house T/salon T》(2016)、《house A/shop B》(2016)、《house S/shop B》(2019)、《house A》(2020)ほか。主な受賞歴=JIA東海住宅建築賞大賞(2015)、第33回吉岡賞(2018)、第4回藤井厚二賞(2019)ほか。

このコラムの関連キーワード

公開日:2020年09月30日