住宅をエレメントから考える

〈キッチン〉再考──料理家と考えるこれからのキッチンのあり方(前編)

樋口直哉(料理家/作家)×浅子佳英(建築家)×榊原充大(建築家/リサーチャー)

『新建築住宅特集』2019年9月号 掲載

『新建築住宅特集』ではLIXILと協働して、住宅のエレメントやユーティリティを考え直す企画を掲載してきました。「玄関」(JT1509・1510)、「床」(JT1603)、「間仕切り」(JT1604)、「水回り」(JT1608・1609)、「窓」(JT1612)、「塀」(JT1809・1904)と、さまざまなものを取り上げ、機能だけではなく、それぞれのエレメントがどのように住宅や都市や社会に影響をもたらしてきたのかを探りました。
今回は住宅の「キッチン」を取り上げます。分析とリサーチは建築家の浅子佳英氏とリサーチャーの榊原充大氏、料理家で作家の樋口直哉氏にお願いしました。キッチンは現代の住宅における中心的な存在となりつつあり、また住宅の機能の中でも特に、ものをつくり出すクリエイティブな場であるとも言えます。その現状と今後の可能性について、前編(分析)・中編(リサーチ)・後編(提案)の3本立てでお送りします。

※文章中の(ex JT1603)は、雑誌名と年号(ex 新建築住宅特集2016年 3月号)を表しています。(SK)は新建築です。

略歴

樋口直哉(ひぐち・なおや)

1981年東京都生まれ/ 2001年服部栄養専門学校卒業/ 2005年『さよなら アメリカ』で第48回群像新人文学賞受賞。主な著書に小説『スープの国のお姫様』(小学館)、ノンフィクション『おいしいものには理由がある』(KADOKAWA)などがある。

浅子佳英(あさこ・よしひで)

1972年兵庫県生まれ/ 1994年大阪工業大学工学部建築学科卒業/ 2007年タカバンスタジオ設立/ 2009~12年コンテクチュアズ(現ゲンロン)/現在、東北大学非常勤講師

榊原充大(さかきばら・みつひろ)

1984年愛知県生まれ/ 2007年神戸大学文学部人文学科芸術学専修卒業/ 2008年~建築リサーチ組織「RAD」を共同運営/ 2019年都市機能計画室設立

「これまでのキッチン」と「これからのキッチン」

浅子

「これからのキッチン」を考えるためには、建築家だけではなく、食やキッチンに精通した人と話をする必要があると思い、料理家であり作家でもある樋口直哉さんに協力をお願いしました。樋口さんは、著書『新しい料理の教科書』(マガジンハウス、2019年)で、これまで慣習に囚われていた料理を見直し、現代的かつ科学的に料理にアプローチされています。また『おいしいものには理由がある』(KADOKAWA、2017年)では生産者の取材に行かれたりと、豊富なリサーチの上でこれからの食のあり方について考えていることも分かります。という訳でこのテーマを掘り下げるのにぴったりの方だと思います。
まず、「これまでのキッチン」を一度整理したいと思います。キッチンは各地の気候風土や食文化と密接に結び付き、独自の系譜を連綿と連ねてきました。『台所見聞録 ─人と暮らしの万華鏡』(LIXIL出版、2019年)によると、日本では土間で水仕事をし、床に直接まな板を置いて作業する「蹲踞式」(図1)が主流でした。また、寒冷地域では火を主軸にした「囲炉裏」中心、温暖な地域では水を主軸とし「かまど中心」で成り立つなど、地域差も顕著だったようです。明治後期以降、「衛生」「利便」の概念が導入されると、床より高い位置で立ったり座ったりせずに連続して作業できる「立働式」に変わっていきました(図2、3)。欧米ではフランクフルト・キッチン(1926年、写真1)などに代表されるような合理的でコンパクトなキッチンユニットが誕生し、採光・換気といった衛生概念も導入されていきました。こうした近代化の過程で世界中のどこでも同様の空間と設備が普及して均質化が進み、系譜の切断が起きたと言えます。

図1:明治26(1893)年発行『素人料理年中惣菜の仕方 全』より。座って調理をしている様子が描かれている。 所蔵:須崎文代
図1:明治26(1893)年発行『素人料理年中惣菜の仕方 全』より。座って調理をしている様子が描かれている。 所蔵:須崎文代
図2(上):平出鏗二郎『東京風俗史』(富山房)より、明治の町屋の台所。 図3(下):『現代家事 上の巻』。鈴木式高等炊事台と思われる一体型の台所設備。 上撮影:Sakai Motoki 下所蔵:須崎文代
図2(上):平出鏗二郎『東京風俗史』(富山房)より、明治の町屋の台所。 図3(下):『現代家事 上の巻』。鈴木式高等炊事台と思われる一体型の台所設備。 上撮影:Sakai Motoki 下所蔵:須崎文代
写真1:エルンスト・マイ・ハウスのフランクフルト・キッチン(1926年)。 撮影:須崎文代
写真1:エルンスト・マイ・ハウスのフランクフルト・キッチン(1926年)。 撮影:須崎文代

近世、台所の労働の主体は女中や下男といった使用人でした。近代に工業化が進む中で労働者が工場労働へと移り、主婦が家族のために自ら料理をするというスタイルが確立していきました。それはある一面では台所の民主化であったわけですが、一方で女性が家事を一手に担うことにより、ジェンダーロールの固定化にも繋がっていったという側面があります。
この記事ではまず、「これまでのキッチン」を「主婦が家族のために料理をつくる場所」と定義したいと思います。その時に問題なのは、近代化から100年近くを経て、キッチンの使い手やその使われ方が多様になっているにもかかわらず、現代のキッチンが、ワンルームマンションであろうが豪邸であろうが、この「主婦のキッチン」の延長上にあり、その縮小版/拡大版にとどまっていることです。「これからのキッチン」はもっと多様なかたちが求められるはずで、その予兆も見え始めている。モダニズムの変革と異なるのは、世界的に同じようなスタイルが浸透するのではなく、生活スタイルや風土に合わせて再び多様になっていくのが「これからのキッチン」ではないでしょうか。

「これからのキッチン」を考えるためのマトリクス。「これまでのキッチン」を中心に、既存の住宅(内側の円)の外側に広がる事象まで含めて収集しながら検討。緑色の帯部分を「これからのキッチン」と定義する。 「これからのキッチン」を考えるためのマトリクス。
「これまでのキッチン」を中心に、既存の住宅(内側の円)の外側に広がる事象まで含めて収集しながら検討。緑色の帯部分を「これからのキッチン」と定義する。

榊原

「これからのキッチン」を考えるために、縦軸に「対象(個⇄コミュニケーション)」、横軸に「機能の度合い(ミニマル⇄充実)」をとるマトリクスを想定しました。このマトリクスにおいては、近代化の流れを受け継ぐ「これまでのキッチン」が中央に位置し、「これからのキッチン」はそれぞれの極に振れていくと仮定しています。
ちなみに「個⇄コミュニケーション」という軸に対して、ここで言う「ミニマル⇄充実」という軸は、象限によって意味付けが少し変化します。「ミニマル」側は、設えや機能がある特定の対象にとって「必要最小限」である、もしくはそのように意図されている状態を示し、対して「充実」側は、それが「過剰」になっている状態を示します。あれもこれも可能という多様な機能が想定されている「これまでのキッチン」に対し、「これからのキッチン」にはある種の先鋭化が働くものもあると考えられますが、それが引き算的になされるか足し算的になされるかという違いを示すものです。
より具体的に見ていくと、第1象限は【個×充実】、たとえば料理を趣味的に、または研究として極める人のための超充実型のキッチンを想定しています。第2象限は【個×ミニマル】、たとえば個人の生存のための必要最小限なキッチンのあり方を想定しています。第3象限は【コミュニケーション×ミニマル】、これは複数人が使うものでありながら、その設えは必要最小限なものを想定しています。第4象限は【コミュニケーション×充実】となります。他者とのコミュニケーションを誘発させるための充実したキッチンを想定します。
当然ですが、キッチンのあり方は家族構成やライフステージといった家庭内の状況のみならず、仕事や福祉といった社会的状況やその変化との関係性の中で規定されるものです。「これからのキッチン」を考えるにあたり、その傾向はより強くなるでしょう。そのため、現状のキッチンやその構成要素だけではなく、これからのキッチンを考えるにあたって必要な事象を広く収集しながら、ひとつひとつ検討していきましょう。

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公開日:2020年06月30日