パブリック・トイレ×パブリック・キッチンを創造する 4

実験的なプランニングに宿るリビングルーム、キッチン、お風呂の快楽性

西沢立衛(建築家、西沢立衛建築設計事務所、SANAA) 聞き手:浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)

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左:浅子佳英氏 右:西沢立衛氏

左:浅子佳英氏 右:西沢立衛氏

ストラクチャーによって生み出される快楽

浅子

西沢さんは90年代から実験的なプランニングをいくつも検討されてきましたが、やはり《森山邸》は大きな転換点のひとつなのではないかと思います。《森山邸》以降の住宅は実験の対象が変化したように思うのですが、いかがでしょうか。

西沢

《森山邸》をやって、なにか憑き物が落ちたというか(笑)、解放されたというのは若干あったかもしれません。その次にやった《HOUSE A》(2006)は、僕としてはもっとも成功したものだと思うのですが、《森山邸》のときの、戦争みたいな緊迫した雰囲気がなく、リラックスしてるというか、平和な感じがします。

《HOUSE A》あたりから、機能から建築を考えるというよりは、ストラクチャーを中心にしたようなものになっていきました。

浅子

なるほど、たしかにその後の《Garden & House》(2012)はストラクチャーに住んでいるような住宅ですよね。

《Garden & House》外観

《Garden & House》外観
写真=西沢立衛建築設計事務所

《Garden & House》内観

《Garden & House》内観
写真=西沢立衛建築設計事務所

西沢

そうです。ストラクチャーの建築とは、ある種廃墟のような躯体しかない建築です。イタリアにサレルノという古い街があって、その歴史地区は人がもうあまり住んでおらず、いくつかの家は屋根が落ちて、石の壁だけになって、廃墟でした。上から光が差し込んで、緑が生い茂り、部屋が中庭のようになって、素晴らしかった。建築は人間とか機能とかから解放されると、ここまで素晴らしいのだと、感心しました。

機能は変わっていくものです。100年前のキッチンを今の人が使うのは簡単ではないし、逆に100年前の人にとって、今の住宅は機能的ではないでしょう。機能は時代とともに変わっていき、かたや建築は100年以上立つもので、改装などの変化はあるものの、構造体などの大きなところは不変です。時代とともに変わっていってしまう機能なるものを、どこまで建築創造のベースに置いていいのだろうか?と。他方でストラクチャーはある普遍性があるので、建築創造の根拠になると思い、最近はストラクチャーがより中心になってきたと思います。ただ、機能を否定しているわけではありません。機能は快楽で、人間の生で、重要なものです。朽ちていく機能もあるし、残る機能もあるだろう、ということです。「ベッドで寝る」ということはそうそう廃れないように思うけど、駐車場やパソコンは、50年後にはもう存在していない気もします。あくまでも、建築の長い寿命に見合った機能とストラクチャーのバランスが必要だということですね。

《森山邸》はリビングルーム、お風呂、キッチンなどの機能を基準としてつくっています。その後の《Garden & House》は床スラブと柱というストラクチャーが中心となっています。《寺崎邸》(2014)の屋根も機能単位ではなく、屋根という建築言語から建築をつくるイメージです。

《寺崎邸》外観

《寺崎邸》外観
写真=西沢立衛建築設計事務所

《寺崎邸》軒下の中間領域

《寺崎邸》軒下の中間領域
写真=西沢立衛建築設計事務所

浅子

機能の捉え方が本当に興味深いです。より根源的に捉えているからこそ、最近はプログラムやプランではなくストラクチャーをベースに建築をつくられていると。

西沢

ストラクチャーの建築というのは、イメージとしてはサレルノで見た廃墟のような、裸の建築なのですが、そういう原初的な建築って、中と外を一緒に考えられる気がするのです。建築がいろんなことで武装されてどんどん重装備になっていくと、例えばエアコンをつけて、防音サッシュをつけて、セコムをつけて、と、室内と室外が分離していく方向に進んでゆくので、僕としてはストラクチャーという原初の建築をつねにイメージしながら設計しています。中と外は当然ながら分けられるのですが、しかし建築の原初の状態をイメージしながら中と外を分けるのと、それをイメージせずに中と外を分けて設計するのとでは、大きな違いがあります。そういう意味では屋根も、中と外が連続しているイメージがあり、僕にとってそれは、原初の建築を考えやすい状態です。

中と外をどう一緒に考えるか、ということで言えば、「中間領域」にも関心があります。《森山邸》以降やろうとしている庭もいわば中間領域で、外にも属するし中の延長でもあるような、いわば中と外の間の空間です。

《Garden & House》は、ストラクチャーしかないような建築ですが、中間領域のイメージがずっと頭にありました。木々の枝が外に広がっていくので、曖昧な外形になるのではないかと。《森山邸》以降、建築はその中に空間をつくるだけでなく、その周りにも空間をつくるのだ、と感じるようになりました。建築がある種の中間領域をまとって立つイメージです。 《寺崎邸》は屋根で建築をつくろうとした例ですが、建築の四周にぐるりと軒が回ります。これも中間領域です。

浅子

整理すると、《森山邸》の庭から始まった中間領域が《Garden & House》では各スラブのテラスとなり、そして《寺崎邸》では軒へと移ってきている。そのような中間領域をよしとするのであれば、《船橋アパートメント》でも周囲に中間領域を設ける選択肢があったのかなと思います。それは単なるバルコニーではなく、それこそ水まわり空間ととけ込んだような……。

西沢

今思えばそうですね。でも当時は思いつきませんでした。やはり《森山邸》で、庭と建築が霜降り状に混ざり合ったものができて、この外形の曖昧さは一体何だろうと思ったのがきっかけでした。

中間領域は、《船橋アパートメント》の後、庭付き住宅をつくりたいと思ったのが大きかったと思います。住宅には、室内だけでなくて庭があるほうがいい、庭でなくてもいいのですが、外があったほうがいい。中と外の両方があってはじめて家なんだ、というふうに感じています。

浅子

例えば《HOUSE A》は、リビングルームと呼ぶには変わった部屋、まるで庭のような部屋があるのが特徴的ですね。

西沢

《HOUSE A》は、外にも3つの庭があるのですが、室内側も庭みたいにしようと思い、屋根を可動にし、大きな窓を設けて、風が通り抜けるような空間にしました。リビングに水場を設けて、排水溝もつくって、水を撒けるようにして、庭のような活動ができるところになるといいなと。《HOUSE A》は、ストラクチャーを重視しはじめたプロジェクトでもありました。《森山邸》は鉄板造で箱なので、大きな窓を開けたり、コーナーを壊して抜けさせたりいろいろしたのですが、穴をあけてもガラスがそこに入ってしまい、箱感はまったく変わらなかった。《HOUSE A》では箱からどう脱するかということで、軸組の建築も思ったのですが、ガラスで囲われたら結局箱になるだろうということで、外形を雁行させました。構造的には、箱のような軸組のような、その中間みたいなものを目指しました。サレルノの廃墟も、部分的に壁が残っていたり、くずれ落ちたところは木の梁が露出していたり、それは純粋な軸組でもなく、壁構造でもなく、そのサレルノの廃墟の記憶は《HOUSE A》に一番強く出ているかもしれません。

《HOUSE A》内観

《HOUSE A》内観
写真=西沢立衛建築設計事務所

《HOUSE A》内観

《HOUSE A》内観
写真=西沢立衛建築設計事務所

《HOUSE A》内観

《HOUSE A》内観
写真=西沢立衛建築設計事務所

浅子

《HOUSE A》の内部の壁は単にプラスターボードを張り巡らせているのではなく、H形鋼材の架構が所々で表出していますよね。あの意図がよくわからなかったのですが、今のお話で理解できました。ストラクチャーで建築が完結するようなつくり方をされているのですね。

西沢

90年代のダイアグラム的建築への反省もあります。ダイアグラム的建築は、妹島和世さんが出てきたときに登場して、それはものすごくインパクトがあった。あのとき妹島さんの建築は、ものすごく抽象的な建築で、その抽象性は独自のディテールとともにあったのです。しかしその後、ダイアグラムの建築が一般化していって、誰でもつくれるものとして再生産されていくうちに、それはディテールがない建築になっていった。建築がディテールを失ったらもう終わりです。僕がストラクチャーとか屋根とか言うのは、要するにダイアグラム建築がディテールを失って建築でなくなっていくという、そういう90年代への反省はあると思います。

ル・コルビュジェの建築に宿る快楽性

浅子

西沢さんは『続・建築について話してみよう』(王国社、2012)で、ル・コルビュジエの建築は野生的で官能的であるとお書きになっています。ル・コルビュジエの建築に快楽性を見出されているのだと思いますが、例えばそれはお風呂などですか。

西沢

そうです。レマン湖畔の《母の家》(1923)は、お風呂が湖に面していて素晴らしいです。ル・コルビュジエの建築で最初に快楽的だなと感じたのは、《サヴォア邸》(1931)のキッチンでした。光が燦々と入ってきて、大きなカウンターが明るい部屋にぐるりと回って、楽しそうというか、料理をしたくなる空間だと思いました。

浅子

料理をしたくなるようなキッチンというのはとても素晴らしい表現ですね。料理という行為に対してすごくポジティブになれます。

西沢

ル・コルビュジエの住宅って、すごく快適につくられていますが、単に快適なのではなくて、キッチンにしてもリビングルームにしてもお風呂にしても、ある種の人間の誇りみたいなものがあります。《サラバイ邸》(1956)にはリビングルームがたくさんあり、くつろぎ空間としてどれも素晴らしいのですが、くつろぎだけでなく、人間にふさわしい空間だなと感じるものです。人間にふさわしい場所、それが住宅になっている。それはル・コルビュジエの天才性でもあるし、個人というものを何千年にもわたって考え続けてきたヨーロッパの厚みでもあると思います。

《サラバイ邸》はいろんな意味で素晴らしいと思います。理屈から言えばあれはモノル型で、ある意味で標準建築、大量生産品なのです。空間構成としても、ひとつの単位が反復するだけの、一種の工業建築です。ところが実際に行ってみると、工業建築なんてものではなくて、生命感あふれる人間の場所になっている。まさに生命の建築で、行ってみて驚きました。

浅子

その生命の建築をつくっているのは、内部空間なのでしょうか、建築全体なのでしょうか。

西沢

両方だと思いますが、彼の建築のつくり方もあると思います。「自由な平面」の典型例である《サヴォア邸》は、ど真ん中にあきれるくらい巨大なスロープを置く。「自由な平面」をつくりたいのか壊したいのか、なにか破壊と創造が同時に起きているようなダイナミズムがあります。ル・コルビュジエの建築は、《ユニテ・ダビタシオン》(1952)にしても、《ラ・トゥーレット修道院》(1959)にしても、建築創造の真っ最中のような感じがします。もうできあがって何十年も経っているのに、今まさにつくられつつある創造そのものを見ているような、不思議な錯覚を感じます。ル・コルビュジエの建築のつくり方の、乱暴さとダイナミックさ、また言葉と建築の相克関係。いろんなところで、生命感が現われてくるのだろうと思います。

《サラバイ邸》を訪れて思ったのは、ル・コルビュジエという人は、平面図の中に入っていく想像力があったということです。建築的散策路は、単なるダイアグラムでなくて、彼は平面図の中を歩いて、スタディしていたと思うんです。《サヴォア邸》を紹介する序文で彼はアラブ建築とバロック建築を比較していて、バロックは、図として楕円を描いただけのような、人間が中を歩くことを考慮に入れていない、ダイアグラム的なものだが、アラブの建築は中を人間が歩くということを考慮に入れたつくられ方をしている、と。自分はバロックでなくアラブの建築のほうを選びたい、と言っています。

ル・コルビュジエは野人なので、彼の建築は荒々しく、官能的で、人間的です。どれだけ抽象的なことを考えていても、つねに物質主義があるような気がします。

浅子

それはある種のフェティッシュでしょうか。

西沢

フェティッシュというよりも、物で勝負、という感じです。一種のマテリアリズム、唯物論です。アクロポリスについての文章で、丘の上の神殿群と、遠くに見える山々や向かいの建築物とが、各々の容量やボリューム感、重量感、密度感のバランスでもって全体風景を形づくっている、というようなことを書いています。建築と環境の関係を、単なる形の関係でなく、重量感、容量の感じ、そういう物質的なレベルで環境を捉えていることがわかる文章です。

浅子

ル・コルビュジエの建築には、完成後の建物を先回りして歩き回って設計したとしか思えない部分がたしかにありますね。さらに『続・建築について話してみよう』では、モダンスタイル以降の建築について、白、水平、垂直にできた箱から、最近は斜めやカーブがテーマになっているとお書きになっています。それはモダニズムが一種類のスタイルで揃える形式の強いデザインであったからで、現在は多様性が問題になっているからだと指摘されています。ここまではよくわかるのですが、さらに、西沢さんは透明性と多様性が現代的な何かを含む問題だとおっしゃっていますよね。ただ、透明性と多様性は、一般的にはあまり繋がらないように思えるのですが、この2つの関係について教えていただけないでしょうか。

西沢

透明性と多様性は、ある意味で同じ問題を示しているというか、いつもそうではないかもしれませんが、多くの場合それらは近い問題を示していると思うんです。フランス革命が起きたとき、それは階級闘争として起きた。自分とは別の階級の人間がいるという認識が、革命につながっていきました。その透明感は全階級が同一平面に並んでしまうという、多様性社会の到来であって、あらゆる人間が発言し行動しはじめる民主主義の到来でもありました。 建築において透明性は例えば、この部屋の向こうに隣の部屋が見える、さらに向こうの庭も見える、という状態です。庭に犬がいて、部屋には人がいて、テレビと本棚がある、という、われわれの世界の多様さが空間化される世界です。

大きな家の異質なおもしろさ

浅子

なるほど、透明性と多様性は同時に空間化されうると。今のお話を聞いていて思い出したのですが、西沢さんは以前、中国で《伴山人家 天津ハウジングプロジェクト》(2004)という住宅のプロジェクトを手がけられましたよね。そこでは広大な敷地に《森山邸》や《船橋アパートメント》のようなさまざまな種類の部屋を大量に並べたプランを提案されていました。このプロジェクトが実現されていれば、プランやプログラムにもさらなる展開がありえたのではないかと想像するのですが。

西沢

延べ床面積が600平方メートルの家で、そこに夫婦と子ども1人の計3人が住むという、日本では考えられない規模の住宅プロジェクトでした。600平方メートルの家なんて日本ではなかなかチャンスがないし、この中国のスケールの大きさをなんとか建築にできないかと思い、いろいろ考えた結果、部屋が40室ある家、40LDKの平屋住宅を提案しました。個室もリビングルームもお風呂もいっぱいある家です。大きな家は、じつは昔から憧れがありました。高校のときに見た映画で、『ディーバ』(ジャン=ジャック・ベネックス監督、1981)という映画があります。それほど大した映画ではないのですが、主人公の少年が住む家が、天井高が十数メートルもある巨大倉庫のような家で、倉庫のように物が溢れて、まるで美術館の収蔵庫のようなのです。彼がその大空間を自転車で走るシーンがあって、インパクトを感じました。大きな家を設計したいという気持ちは今でもありますね。

日本のパブリック空間と都市空間への展望

浅子

自分の所有物なのに、誰のものかわからなくなるというのは、どこかパブリックとプライベートの境界をも撹乱させる働きがあるでしょうし、特に中国で豪邸の可能性が実現されていたらと思うと残念です。大きな家といえば、日本にはここ15年ほどで爆発的に増えた建築プログラムにタワーマンションがあります。東京でも地方でも、駅前はほぼタワーマンションで覆われ、急速に街の風景が変わりました。タワーマンションを含め日本に乱立する規格化された集合住宅に対して、建築家は何かできることはないでしょうか。

西沢

ル・コルビュジエの《ユニテ・ダビタシオン》もタワーマンションの一種と思えば、タワーマンションであっても創造的なものってあるのだろうとは思うのですが、残念ながら今の日本は縮小社会というか、非ビジネス社会で、新しい商品で新しい市場を開拓していこうという国ではありません。新しいものを売るというよりは、かつて売れたものを売るという感じで、日本の先細りの未来を感じさせるというか、寂しいですね。

タワーマンションは、提案したい部分がいっぱいあって、数えきれないくらいです。エレベーターなんかぜんぜん乗る気にならないというか、暗く、狭く、なるべく人に会いたくない公共空間です。タワーマンションは生活をあんまり考えていない感じがします。日本の公共空間は、ヨーロッパと比べると劣っています。

浅子

たしかにヨーロッパのエレベーターや階段は、機能的な場所というよりも、どこか快楽性がある場所になっていますよね。

西沢

ヨーロッパの公共空間・都市空間が豊かなのはいろいろな理由があるとは思いますが、彼らは市民社会とか民主主義とか、公共空間というものを、それこそローマ時代から考えてきた人たちですから、成熟しています。公共空間を享受するタフさが、各個人にあります。彼らは、公園や街の公共空間で、本当にリラックスしてくつろいでいます。日本では民主主義が始まってまだ100年かそこらなので、ヨーロッパの民主主義のような歴史的厚みがなく、公共空間は何をするべき場所なのかよくわからない。日本において公共空間は「自分が勝手に使ってはいけない場所」ですが、ヨーロッパにおいて公共空間は、各々が所有し、各々が楽しむ場所です。日本では公共空間がまさか自分の物だとは、みんな夢にも思っていない。

また、近代化が急速すぎたという問題もあると思います。近代化によって、いろんな外来物が怒涛のようにやってきました。民主主義も公共空間もやってきたし、リビングルームもやってきた。でもそれらはどれも、日本人が使ってこなかったものばかりで、どうくつろげばよいかわからないのです。日本に民主主社会が根づくまで、あと何百年かかかるのではないかと思います。

浅子

ヨーロッパでは自分たちで獲得したパブリック・スペースを持っているけれど、日本のパブリック・スペースは歴史的な厚みもなく、したがって何をしていい場所なのかわからない。たしかにその通りだと思う反面、日本にも何か固有のパブリック・スペース、都市空間のあり方があると思うのですが、いかがでしょうか。

西沢

それはいっぱいあると思いますね。お祭りをやる神社の境内や、大相撲の賑わい、京都の町家、都会の裏側のちょっとした路地、古いお墓と大木が並ぶ墓地など、素晴らしい都市空間はいっぱいあります。幕末にアメリカの外交官ハリスが来日して、東海道を上って江戸に向かうときの日記があるのですが、静岡あたりで彼は、花火大会に出くわします。海辺で花火が揚げられて、人々が土の東海道にゴザを敷いたり、茶屋の台に座ったりして、夕涼みしながら花火を眺める風景です。日本人に大きな疑問と反感を持つハリスもそのシーンには感心したのか、ほめています。そういう風景は、21世紀の今もいっぱいあります。村的というか、村の集いのような、美しい風景です。

浅子

空間の使い方はうまくないけれど、日本には別の豊かさがあると。

西沢

西洋から輸入されたものの使い方はうまくないけど、でも日本の伝統的な空間は、きわめて自然に使いこなして、くつろいでいますよね。リビングルームでのくつろぎ方はわからなくても、茶の間でのくつろぎ方はよくわかる。

村的という意味では、家族というものも日本にはあります。ヨーロッパでは、家族の概念はとっくに崩壊していて、彼らはすごく家族を大切にします。家族の話を盛んにします。回復すべきものとしてあるのだろうなと思います。

浅子

崩壊しているとわかっているからこそ守ろうとしているわけですね。

西沢

かつてあった家族というものを、懐かしく感じているのではないかと思います。前に僕らの事務所のドイツ人のスタッフが故郷に帰省するときに、母に招待されたと言って喜んで帰っていくのをみて、日本人スタッフは衝撃を受けていました。母に会うのに招待状が要るのか? ヨーロッパでは母と娘の間にすら社会が介在しているのか? という驚きです。でも日本は個人主義社会にはまだ至っておらず、まだ村的なものがあるし、家族について日本人はまだ、ヨーロッパ人ほど懐かしくは思っていないと思う。

浅子

ただ、日本でもその豊かさは失われつつありますよね。

西沢

そうですね。それはその通りです。なくなる部分と、そう簡単には変わらなさそうな部分と、両方あると思いますね。

街をきれいに保つ宗教的国民性

西沢

僕はずっと自分のことを無神論者だと思っていたんですが、最近はむしろ、意外に宗教的な人間ではないかと考えるようになりました。というか日本人全体が、ものすごく宗教的なのではと思うようになったのです。ヨーロッパやアメリカで地鎮祭に参加すると、すごい即物的というか、物質的で、嫌になるのです。それに比べて日本の地鎮祭は、宗教的な行事になっていて、ほっとします。

そして日本は都市がきれいですね。それもすごいことで、世界のどの都市にもないことです。

浅子

それも宗教に関係するのですか?

西沢

僕はそう思います。人類学者の梅棹忠夫が言っていたのですが、アジア諸国に行くと、インドやタイでは仏像を毎日掃除するので、ぴかぴかに光っていると。その国で何が輝いているかを見れば、その国で何が崇拝されているかがわかる、ということで、アジアでは神仏が輝き、日本では新幹線と自動販売機が輝いている、と梅棹は言っていました。そういう意味でいえば、日本の大都市は本当にいつも掃除されていて、都市全体が輝いています。海外旅行客のほぼ全員が感心するのもそこです。道路も、新幹線も、空港も、ビルも非常にきれいです。掃除は、不浄なものを洗い落としてゆく、ある種の崇拝の行為、信仰的な行為ではないかと思うんです。日本では、どれだけ即物的なビジネスマンでも本気で祟りを恐れるし、本気で神社に参拝します。昔僕は、東京というものは無神論の塊みたいな、ビジネスだけの都市だと思っていましたが、いまはむしろ逆に、宗教的な都市に見えるようになりました。それほどきれいに掃除されていると思います。

浅子

なるほど、都市空間全体で掃除という宗教的な振る舞いがなされていると。都市がきれいなのは、日本人がパブリックな空間とプライバシーの空間の境目をあまり認識していないからとも捉えられますよね。だからこそ、日本人はパブリック空間もインテリアのようにきれいにしないと気がすまない。

西沢

それもありますね。日本人は、とにかく何でも掃除します。無差別と言ったら言い方が悪いけど、街に出ると、エスカレーターの手すりまで磨いています。日本人が引っ越しで家を出るとき、今まで自分を住まわせてくれた部屋をきれいに掃除してから出てゆくのを、ヨーロッパ人は理解できないのですが、あれは日本人にはきわめて自然な感覚だと思います。非一神教的な世界、汎神論的な世界ですね。万物が掃除の対象なのです。掃除って不思議で、雑巾掛けしていると、何も考えなくなるというか、無心になるんですよね。「何のため」というような実利的、機能的なことだけではないと思います。

21世紀の「形のない」建築

浅子

最後に21世紀の建築についてお聞きしたいと思います。西沢さんは、エーロ・サーリネンの《TWA ターミナル》(1962)について、コンクリートシェル構造でできた流線型の空間は、ジェラルミンの新型ジェット機や、流線型の自動車や、カーブを描く流麗なハイウェイなどを連想させる形態で、1950、60 年代当時のアメリカの新しい時代が率直に表現されているとお書きになっていますよね。

一方、現在の最先端技術としてはITが挙げられると思います。実際、僕たちのコミュニケーションのあり方やライフスタイルは大きく変化しました。ところが、そのような現在の時代に対して正面から答えているといえる建築があるのかというと、心許ないと感じています。60年代には時代に呼応した建築がつくられていたのだから、現代にも可能性はあると思うのですが、21世紀の建築のあり方について、西沢さんはどのような考えをお持ちでしょうか。

西沢

難しい問題ですが、いろいろな可能性があるのだろうと思います。僕の興味で言えば、「形がない」ことはひとつのテーマになるのではないでしょうか。例えばパソコンとかスマホ、LINEとかクラウドとかは、「形がない」ということがテーマのひとつになっているようにも感じます。電気自動車にもそんな雰囲気を感じます。かつてのガソリン車は動力機関があってタイヤがあって、関係性が物質的で、しかるべき形というものがあったけど、電気自動車は、要するに電池に車輪を付けるだけですから、車的な形がほぼない。いろんな分野で考えていることが、「形がない」状態に向かっているようにも思うんです。建築もそうで、どんどん特徴がなくなっていくというか、どんどん外観がなくなってきていて、《森山邸》の外形も、今思えば「形がない」を形にしたかったのだろうなと思います。最近若い建築家が地方都市に戻って、地域に貢献する持続的な仕事をしていますが、リノベーションとかシェアハウスとか、民泊とかいうものも、「形がない」ことのひとつの現われなのかなとか。いずれ近いうちに、「形がない」ということがどういうことかを鮮やかに言う建築が出てくるのではないか、と期待します。

もうひとつ、「生命」も大きなテーマになってきていると思います。それは医学や農業だけでなく、あらゆる分野でそうだと思います。iPhone が発売されたとき、タッチパネルで指をさっと動かすと、画像が指の動きに合わせて揺れて、その生命的な動きに皆感心しましたが、ああいうのはさまざまな分野で起きていると思います。何年か前にメキシコを中心として新型インフルエンザが流行ったとき、その発生源をGoogle検索で特定したそうです。メキシコの田舎の町のある地区に住む人々が、ある時からみんな別々に、「熱」とか「悪寒」とかを同時多発的に検索しはじめたそうで、そこを中心にそういう種類の検索ワードがメキシコ全体に広がっていったことが、検索エンジンでわかったそうです。そういう波の広がりにも「生命」のイメージがあると思います。「生命的なもの」は、これから科学、芸術、経済、あらゆる分野で中心的課題になっていくのではないかと思います。

浅子

本日は水まわりを出発点にしながらも、多岐に渡る議論におつきあいいただき、ありがとうございました。冒頭でおっしゃっていた、快楽性と機能性の捉え方については、いまだモダニズムに囚われた建築を乗り越える重要なキーワードだと思います。そしてそれには水まわりが重要な役割を果たす気がします。

そして、最後の「形がない」ということがテーマになるのではないかという話は、とても示唆的でした。たしかにITはコードやプログラムなので基本的に見えない。それがどうやって建築と結びつくのか、以前からずっと考えていたのですが、リノベーションや既存の都市との接続や溶解など、今日はその大きなヒントをいただきました。iPhoneのジェスチャーや大量の検索キーワードに生命的なものを感じるという話からも、たしかに現在という時代の新しい建築のイメージが喚起されます。まだまだお聞きしたいことは尽きないのですが、そろそろ時間になってしまいました。いつか再び議論させてください。改めて本日は本当にありがとうございました。

西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)

1966年生まれ。建築家、SANAA共同代表、西沢立衛建築設計事務所代表。横浜国立大学大学院都市建築スクール“Y-GSA”教授。作品=《船橋アパートメント》(2004)、《森山邸》(2005)、《HOUSE A》(2007)、《十和田市現代美術館》(2008)、《豊島美術館》(2010)、ほか多数。著書=『建築について話してみよう』(王国社、2007)、『美術館をめぐる対話』(集英社、2010)、『続・建築について話してみよう』(王国社、2012)、ほか多数。

浅子佳英(あさこ・よしひで)

1972年生まれ。建築家、デザイナー。2010年東浩紀とともにコンテクスチュアズ設立、2012年退社。作品=《gray》(2015)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=西澤徹夫)ほか。共著=『TOKYOインテリアツアー』(LIXIL出版、2016)、『B面がA面にかわるとき[増補版]』(鹿島出版会、2016)ほか。

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公開日:2019年05月29日

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