海外トイレ×キッチン事情 7

モロッコ、タンジェ──文化と生活を支える豊かな実践

松原慈(美術家/建築家)

タンジェの街、海を眺めるパブリック・キッチン

タンジェの風景

タンジェの風景
以下、すべて筆者撮影

タンジェ。スペインまで海をはさんでたった14kmのアフリカの北の入口、旅人が多い街。
タンジェのCAFE HAFAといえば、元祖カフェ。カフェの代名詞(私のなかでは)。
海沿いマルシャン地区の崖っぷちに、石造りの机と海風で吹き飛ばされそうなプラスティックの椅子が並ぶ。屋根壁なし。メニューはミントティーのみ。少年たちが一杯のミントティーで一日中海を眺めながらたむろする場所。
ここではキッチンもお茶の運び係も全員男性。ちょっとしたスープがあるので、ある意味男たちが集うパブリック・キッチン。手はよく洗ってくださいませね、と目配せしたくなるのを抑えてキッチンの横を素通りし、崖に沿って階段を降りると眺めは一面、海。この眺めを共有するためだけに、もう百年もここにキッチンがある。たったそれだけの美しい建築計画。

CAFE HAFA入り口

CAFE HAFA入り口

CAFE HAFAから海を眺める

CAFE HAFAから海を眺める

──集い学ぶ《家》── DARNAのパブリック・キッチン

私が初めてタンジェを訪れたのは2012年の4月だった。そのとき私にタンジェのいろはを教えてくれた美術家のイト・バラダは、タンジェのメディナ(旧市街)・グラン・ソッコと呼ばれる地区からほど近い路地裏にあるDARNA(私たちの家)と名付けられた場所を初日の待ち合わせに指定した。そうでなければ、私がこの場所を知るまでにはもう少し時間がかかったに違いない。その後、私はたびたびタンジェに過ごすことになり、数え切れないほどDARNAのお世話になったというのに。

DARNA《La Maison Communautaire de la femme》入り口

DARNA《La Maison Communautaire de la femme》入り口

イトの母であるムーニラ・ブジド・エル・アラミの志によって、女性と子どものためのシェルターとしてタンジェにDARNA協会が生まれてから20年が経つ。コミュニティ・レストランを併設したDARNAの一施設《La Maison Communautaire de la femme(女性の集う家)》には現在、主に若い女性たちが教育を受け職業訓練を行なうための機能がすべて整っている。ほとんど廃墟だった公共の建物に懸命に手が入れられ、外装と中庭のイチジクの木をシンボルとして残し、ほかはすっかり新しい用途のために改築された。

内観

内観

イチジクの木陰がある中庭

イチジクの木陰がある中庭

私はタンジェに来るたび、このイチジクの木陰で昼食をとる。ここに集う女性たちが料理する清潔なキッチン、明るい陽が差し込むカフェテリアがほかのどこよりも安らぐからなのだが、私に限らずここを訪れる人の多くが、実際にはここがストリートキッズ・収入源のない女性・不安定な家庭など、生きる困難を抱えた女性と子どもたちが経済的に自立するまでを支える場所であると理解している。

キッチンを囲んで訪問客にシェアされるのは食べ物だけではない。建物の2階にある工芸などを学ぶアトリエへは日に300人の女性たちが出入りし、ワークショップや指導も行なう大きなキッチンとカフェテリアの周りには、ここで作られたものを売るショップや展示やレクチャーのための多目的な部屋がある。気軽に昼食に通ううちに自然とこの場所の成り立ちに触れ、ここで学ぶ女性や子どもも、食事する私たちも、次第にこのキッチンの外へ知識が拡がる。あらゆるテーマに対する感性を育てたいという、この《家》の志のとおりに。

誰もがイチジクの木の下で700円の同じ昼食を楽しむ。けれど同時に、今日昼食に何を食べるのか、どこで誰と食べるのか、映画に行くのか本を読むのか、そのタイトルは何なのか、そうしたことの一つひとつの選択が文化そのものであり大きな力であることも同じ木の下で知る。このパブリック・キッチン──集い学ぶ《家》──をもつ街には、同じ志で若者たちのための劇場Theatre DARNAやイトのアイデアで生み出された多目的映画館のシネマテーク・タンジェが生まれ、郊外に教育的な農園も作られた。昼食のあとタンジェを散歩すれば、隣のシネマテーク・タンジェでは女性映画月間が催されており、そのポスターにもDARNAのロゴを見ることになる。

男女を分かつ壁が消えたら?

シネマテーク・タンジェ

シネマテーク・タンジェ

オープンカフェを構え、芸術系映画を上映し、若者が集う街の顔でもあるこのシネマテークのトワレットにはちょっとした仕掛けがある。
用を済ませて手を洗おうと洗面台の前に立つと、鏡を見ているはずなのに自分の姿が映らない。はてどうしてと混乱したところで、あるはずの鏡の向こうに男性が現われ、私と同じように手を洗い始める。そう、男女のトイレが向かい合わせに寸分違わず対称にデザインされ、その間に本来なら鏡張りの壁としてあるはずのものが冗談のように取り払われているのだ。知らずに《鏡》向こうの男性に遭遇して声を上げる女性もいるが、目が合うと笑ってしまう。キッチュすれすれのユーモラスな仕掛け。

シネマテーク・タンジェ内観

シネマテーク・タンジェ内観

向かい合わせの手洗い場

向かい合わせの手洗い場

あるはずの壁、なくてもよい壁、あったほうがよい壁、次第になくなる壁。アフリカ最北端の港町を訪れるたび、そんな壁のいろいろに考えを巡らすのは、この街の出入口がヨーロッパとアフリカを隔てる最後の国境である以上に、この街の空気をつくるこうした実践に自然と触れていたからなのかもしれない。

シネマテーク・ダンジェ カフェテラス

シネマテーク・ダンジェ カフェテラス

松原慈(まつばら・めぐみ)

美術家/建築家。ロンドン大学バートレット建築学校MA修了。現在、フェズ(モロッコ)と東京都を拠点に活動。近年の主な展覧会に、「マラケシュ・ビエンナーレ 6」(エル・バディ宮殿、マラケシュ、モロッコ、2016)、「あいちトリエンナーレ2016」(愛知県美術館、2016)、「第21回DOMANI・明日展」(国立新美術館、2019)など。また2002年より建築家ユニットASSISTANTを有山宙と共同主宰し、主な建築作品に《33年目の家》(奈良、2013)、《IT IS A GARDEN》(長野、2016)などがある。

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公開日:2019年03月27日