国内トイレ×キッチン・サーベイ 9

ピクニック――歴史の探究から現代都市での実践へ

伊藤香織(東京ピクニッククラブ)

私たちは2002年に「東京ピクニッククラブ」を立ち上げた。1802年にロンドンで「ピクニッククラブ(Pic-Nic Club)」が結成されてから200年を記念したものだ。彼らの最初のピクニックは、小劇場で深夜まで音楽や寸劇が演じられ、夜食が提供される、というものであった。

James Gillray "The Pic-Nic Orchestra"(1802)

ピクニッククラブによる1802年のピクニックを描いたJames Gillray "The Pic-Nic Orchestra"(1802)。ロンドンの劇場でフランスの寸劇を演じている。アマチュアが劇場を使ったり、女性が夜中に娯楽に興じていることなどが非難された

「ピクニック」という言葉は、フランス語の「pique-nique」からの借用だ。もともとは悪口の掛け合いとして使われていたが、悪口の掛け合いで「おあいこ」、という意味が転じて、持ち寄りや割り勘の食事を指すようになった。多くは夜に室内で行なわれるパーティなどを意味していたようだ。飲食を伴う気の置けないディスカッションもまた「ピクニック」と呼ばれた。

フランスを中心に広がっていたpique-niqueから、参加者それぞれが平等に寄与するという意味や、飲食を伴って参加者が語らい騒ぐという形式を読み取り、ロンドンで新たな「pic-nic」を展開したのがピクニッククラブだった。そうした彼らの姿勢は保守的なロンドンの人々が眉をしかめるものであり、警察が見張っていたという記録もある。

社会を騒然とさせる馬鹿騒ぎとして始まったピクニックであったが、その後20年も経つと、私たちの知る屋外での集まりとなり、19世紀半ばには「ピクニックはイギリス人の風俗習慣」とまで言われるほどに広がった。これには、近代都市で生まれた公共公園と鉄道が大きな役割を果たしていた。

20世紀初頭には、自動車の量産化とともにピクニックブームはアメリカにも飛び火し、イギリスで多くのピクニックセットが作られた。初期のピクニックセットは、自動車のオプションとしての高級品であった。1930年代になると次第に陶器や琺瑯がプラスティックに、やかんとアルコール・バーナーが魔法瓶に置き換わり、より手軽なものとなっていく。1960年代後半になると、ピクニックは急速に娯楽としての人気を失っていった。

1910年代のピクニックセット

1910年代のピクニックセット。イギリスで製造され、アメリカ大陸に輸出されたものと考えられる。紅茶用とコーヒー用のケトルが入っており、アルコール・バーナーで沸かせるようになっている。これは4人用のセットであるが、この時代は6人用のセットも多かった
(以下、写真はすべて筆者撮影)

これらの歴史の探究と現代都市のフィールドワークを通して、東京ピクニッククラブは、ピクニックを参加者それぞれが寄与する社交と捉えている。そこで、建築、都市計画、造園、食、グラフィック、編集など多彩な分野のメンバーがアイデアを持ち寄り、自由で洗練された現代都市のピクニックの姿を提案するとともに、「ピクニック・ライト(=ピクニック権)」を主張し、社交の場としての都市の緑地や公共的空間の利用可能性を追求している。

活動のなかで、ピクニックの実践のヒントとなる「ピクニックの心得」を作成した。いくつかかいつまんで紹介しよう。

東京ピクニッククラブの「ピクニックの心得」

東京ピクニッククラブの「ピクニックの心得」。15の心得から成る
(文:伊藤香織、イラスト:北村ケンジ、デザイン:則武弥)

心得01

ピクニックは社交である。形式張らない出会いの場と心得るべし。

家族のイメージの強いピクニックだが、歴史的には大人が集まる社交的な娯楽であり、実践的にもそのように捉えると可能性が広がる。東京ピクニッククラブ自体が異業種交流会の様相を呈しており、ピクニックでプロジェクトが生まれることもある。固定メンバーではなく、紹介したい人を誘うことも多い。昼間から芝生の上で美味しいお酒と料理を囲んで語らい、ときどき昼寝をして、暮れていく一日を愛おしむ。会議室で打ち合わせをするよりはるかに良いアイデアが出るし、居酒屋で懇親するよりずっと気兼ねなく話ができる。家族を連れてくる人も多く、子ども同士が仲良くなったり、知人の配偶者と思いがけぬ話題が広がったりする。

text

心得05

ピクニックにホストはない。全ての人が平等な持ち寄り食事が原則である。

ピクニックで一人ひとりが持ち寄るものは、料理やお酒、道具やラグ、そして話題やアイデアなど。誰もが「お客様」ではなく「参加者」だ。たとえばホームパーティではひとりに準備や片付けなどの負担がかかるが、ピクニックにはそれがない。また、お弁当ではご飯、肉や野菜、デザートなど、一食のバランスをカバーしなければならないのに対して、ピクニックでは各自が持ち寄ってひとつの食卓を構成するので、一人1品か2品持参すれば十分である。例えば鶏の丸焼きは、見た目が豪快なので大勢で囲むのに向いており、手間も掛からない。

text
鶏の丸焼き

鶏の丸焼きはピクニックによく持っていくメニューのひとつ。作るのに手間がかからず、持ち歩きやすく、大勢集まるからこそ楽しめるメニュー。別の人も鶏の丸焼きを持ってきて2羽になってしまったという失敗も笑い話

心得07

料理は手軽さを旨とする。しかし、安易であってはならない。

料理に手間取って日が暮れてしまっては意味がない。ピクニック自体を楽しむことが大切なので、料理は手軽でよい。ただし、作ったものでも買ったものでも、自分なりのアイデアやこだわりがあったほうがよい。ピクニックは各自の創造性を持ち寄り、ともに楽しむことだから、料理に人となりが透けて見える。初めて会う人も多いので、料理で話のきっかけが作れると会話が広がりやすい。出身地の旬の野菜を食べてもらいたいとか、ピクニックサイトの近くの知る人ぞ知るお店のメンチカツとか、スペイン料理店のオムレツにスペインワインを合わせてみたとか、その場で好きな具材を選んでオープンサンドにするとか、安易ではない料理の方向性は無限にある。誰もが創造性を発揮できるのがピクニックなのだ。

text

心得10

ラグに上がりこむのではなく、ラグを囲んで座るべし。ラグは集まりの象徴であるから。

日本では敷物は靴を脱いで上がり込むものだが、イギリスのピクニックの写真を集めていると、ラグ(敷物)の周りに人が座っていることに気づく。文学作品などから、彼らにとってラグはテーブルなのだとわかった。これを実践してみるとなかなか都合がよい。料理と足が混在せず、また移動しやすくいろいろな人と話ができる。何より、人が座る面積を考慮しなくてよいので、ラグの選択肢が広がる。ピクニックの場の設えを決定づけるのは、ラグだ。ラグを美しいものにすれば、ピクニックが美しくなり、集まりが華やぐ。私たちは、テーブル代わりになるセンターラグにお気に入りのテキスタイルを選ぶ。切りっぱなしの生地なので、安価で済む。各自が座るための小さいラグをセンターラグの周りに敷けばより快適だ。

text
センターラグ

センターラグは、集まりの象徴であり、テーブルの役割を果たす。華やかなテキスタイルを選んで、その周りを囲む。センターラグには上がり込まない。各自が小さめの敷物を持ってくると、地面が湿っているときも快適に過ごせる

心得12

ピクニックには三々五々集散すればよい。途中で帰る人を引きとめてはいけない。

私たちはピクニックの集合時間を決めない。来る時間も帰る時間も自由だ。そうすることで、それぞれの生活パターンや都合の範囲内で、無理なく参加することができる。普通の飲み会であれば、開始時間に人数が揃っていないと不都合があったり、遅れてくる人も罪悪感を持つ。しかし、ピクニックではむしろ遅れてくることが歓迎される。遅れてくる人は、冷たいアイスクリームや温かいコーヒーなど、その時間にしか持参できない、その時間にこそ欲しくなるものを持ってくるからだ。

text

ピクニックは、生活のなかで創造性を発揮し、他者と交わる時間と空間を創出する行為である。ともあれ、私たちがピクニックを好きなのは、幸せで豊かなひとときが私たちの都市生活を彩ってくれるからだ。さあ、ピクニックに出掛けよう。

伊藤香織(いとう・かおり)

東京ピクニッククラブ共同主宰。東京理科大学教授。東京生まれ。東京大学大学院修了、博士(工学)。専門は、都市空間の解析およびデザイン。特に公共空間と都市生活の関わり方に着目する。主著に『シビックプライド──都市のコミュニケーションをデザインする』(共同監修、宣伝会議、2008)、『シビックプライド2【国内編】──都市と市民のかかわりをデザインする』(共同監修、宣伝会議、2015)、『まち建築──まちを生かす36のモノづくりコトづくり』(共著、彰国社、2014)など。東京ピクニッククラブとして、2008年の英国ニューカッスル・ゲイツヘッドから始まった「ピクノポリス」プロジェクトを国内外の都市で展開する。

このコラムの関連キーワード

公開日:2019年04月26日