パブリック・スペースを創造する 2

歩行者のための都市を可能にするもの

山崎満広(都市計画、経済開発コンサルタント) 聞き手:浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)

浅子佳英氏

浅子佳英氏

山崎満広氏

山崎満広氏

浅子佳英

「パブリック・スペースのゆくえ」ではこれまで、これからのパブリック・スペースを考えるため、さまざまな都市のサーベイを行なってきました。そのなかで最も興味深かった都市のひとつがポートランドだったんですね。山崎さんは2012-17年にPDC(Portland Development of Commision、ポートランド開発局)で国際事業開発オフィサーとして、最先端の都市計画に直接携わってこられました。いつかお話を伺ってみたいと思い、今日ようやく実現しました。


さて、これからの都市計画やまちづくりを考えるとき、歩行者優先の都市へとシフトしていくことが予想されます。というのも、自動運転システムやシェアカーが普及すれば、街から自動車が減り、空間のあり方も大きく変わるからです。その際、ポートランドの実践はたいへん大きなヒントになると思ったんですね。とくに1979年という今から40年も前に都市成長境界線を引くことで拡大路線から距離を置き、街なかのハイウェイを廃止したことは今こそ注目すべきだと思います。だからこそ、本日も最後は20-50年後の将来像を描くにあたって今何を考えるべきか、というところまで話ができればと思っています。

相乗効果が生まれる現場──ジバの働き方

山崎満広

僕は2012年にPDCに入局し、ビジネス・産業開発マネージャーとしてポートランド都市圏の企業の輸出開発支援や、アメリカ国内外からの企業・投資誘致を担当していました。その後、2017年にPDCを退職し、現在はコンサルタントとして国内外問わず、多くの企業や研究機関、自治体を結びつける仕事をしています。今年から東京に拠点を移すとともに、独立当初からポートランドの国際的なコンサルティングファーム、ジバ(Ziba)にも所属し、日本とアメリカとを行き来しています。ジバがユニークなのは、独自の視点で人材を集め、活動をサポートしている点です。組織には約80人の社員が在籍しているのですが、社員のほかに僕のような少人数のレジデント(期間限定の事業支援者)にスペースを用意し、自由に仕事ができる環境を無償で提供しています。僕はPDC退職後、ジバに招かれ、日本に拠点を移すまでポートランドでしばらく活動を続けることができました。ジバとは直接的な雇用関係を結ばない代わりにオフィスの一部を使わせてもらうことで、互いに刺激を与えあう戦略的な関係が成り立っていました。

浅子

すばらしい仕組みですね。山崎さん自身もジバの仕事をしているのでしょうか。

山崎

外部の人材は招かれて来ているのですが、ジバの仕事「も」するといった感じです。僕が独立後、ポートランドのブーツメーカー、ダナーと米国内のブランディングの仕事をすることになったとき、このプロジェクトにジバも加えることで、三者のコラボレーションに発展しました。逆に僕が日本の大手自動車メーカーのビジョンづくりに関わった仕事は、ジバの紹介を通じてプロジェクトに引き入れられた経緯があります。最近、有名企業が次の一手を打とうというとき、コミュニティやアーバンデザイン、モビリティを軸に戦略を立てることが多いのですが、専門のコンサルタントを雇おうとすると大手企業以外に選択肢が乏しいのが実状です。僕はPDC出身の実績が買われてそのプロジェクトに単独で参入しました。このときはジバと僕のあいだでプロジェクト契約を結び、ブランディングを牽引することになりました。

浅子

ありそうでなかった画期的な働き方ですね。個人が独立しようとすると事務所を借りたり、機材を揃えたりと金銭的な初期投資の負担は大きい。しかも、専門性の高い仕事をしている人ほど、独立後に新たに仕事をとったり、新たな人脈をつくったりするのに苦労するものですが、この仕組であれば、自分の専門性こそを活かした働き方ができるので非常に有効な仕組みです。組織にとっても多様な専門性を持った新しい風をつねに採り入れることができる、まさにWin-Winの関係ですね。

山崎

ジバには僕のようなスタートアップ系人材のメンター代わりになるような人がたくさんいて、とても心強い存在でした。組織に属さずしてパートナーがいる環境はアメリカでも新しい働き方だと思います。

浅子

山崎さんがジバにレジデントとして招聘された2017年当時はどのような人材が集まっていたのでしょう。

山崎

当時は僕以外に2人いました。ひとりはシリコンバレーで11年ほど雑誌を編集していた男性です。彼はそれまで2,000人ものスタートアップのファウンダーにインタビューした経験があり、そこで得た知見からコンサルを務めるかたわら、未来予測や哲学の読み物を書いていました。彼はジバでは2番目となるレジデントでした。1番目はナイキのシューズデザイナーだった人物で、僕とは重なっていないのですが、コンバースに移籍する1年後までの契約消化期間に在籍していました。もうひとりはシンガポール育ちのインド系の女性で、ロンドンの大学を卒業したファッションデザイナーです。彼女の縫製工場はポルトガルにあり、ヨーロッパをベースに事業を継続しながら、本人はポートランドを拠点にして米国市場参入をねらう、非常にユニークな活動を展開していました。ジバにはこのように多様な人材が集まるので、互いに人を引き合わせたりといった相乗効果がしょっちゅう生まれる環境でした。

ジバでのミーティング風景

ジバでのミーティング風景
参加者のラフな装いからも自由な気風が窺われる
写真=山崎満広

上流から都市の未来像を描く──PDCとメトロ政府

浅子

ポートランド市の都市計画の体制についてお訊きしたいと思います。2016年に上梓された『ポートランド──世界でいちばん住みたい街をつくる(以下、ポートランド)』(学芸出版社)のなかには、日本にはない組織や仕組みがいくつも登場します。PDCはもちろん、その開発の原資となるTIF(Tax Increment Finance、租税増収財源債)のような仕組みや、さらに広域かつ長期的なビジョンを描くメトロ政府など、先進的な事例が豊富にある。日本では都市開発を行政側が率先して仕掛けるような風土がありません。それとは対照的に、PDCはむしろ行政のほうで積極的に仕掛けているというのが驚きでした。

山崎

たしかに日本ではデベロッパーが上流にいて、開発を実施する過程で行政が立ちはだかっている印象がありますね。PDCはデベロッパーや交通局、あるいはその他の管轄部署など、計画に関わるさまざまな主体を束ねる胴元のような存在です。例えば、PDCの管轄となるポートランド市内の荒廃地区を再生する場合、デベロッパーにとってのリスクをあらかじめ引き受けて計画を策定するのがPDCです。PDC内にはデベロッパー出身者や銀行の元頭取、都市計画や経済開発の専門家などがいて、計画を策定する時点でリスクヘッジがなされる。デベロッパー以上に開発を熟知する人材が集まっているのが強みです。そういう組織が開発を先導することで、自分たちが描く将来像にデベロッパーを引き入れることができます。デベロッパー側もPDCが主導する開発には、低リスクで投資を回収できるメリットを感じています。

浅子

PDCの開発資金となるTIFの調達方法もとてもおもしろい仕組みです。開発を仕掛ける地区の固定資産税を一旦固定にし、再開発後に上昇する税収の差分を見込んでプロジェクトに投資する。ある意味で未来を先取りした、日本の行政にはない、まるで投資家のような発想です。

山崎

再開発を行なう組織が課税権をもっているケースは、ニューヨークやロサンゼルス、フィラデルフィアといった大都市を除けばアメリカではほとんどありません。ポートランドの場合、西海岸のリベラルな気質と、オレゴン州がもともと持っているDIY精神が根強いのではないかと思います。いざというときに頼れる大都市が周辺にはないので、お金を生む仕組みを自分たちで考え、必要なものは自分でつくる。今、固定資産税の上昇分で投資回収する話が出ましたが、回収の手法も一様ではありません。目先の回収を遅らせてでも有望な起業やNPOをテナントに引き入れるようデベロッパーに提案するケースもあります。そのインセンティブとしてデベロッパー側の費用負担を軽減する。なぜこうした取り引きが可能かと言えば、それによって地区内の雇用が増え、多様性が高まり、より持続可能な地域経済を実現することにもつながるからです。地区の雇用が増えれば長期的には税収増になりますし、さまざまな種類の人種が集まることで地区も活性化します。

浅子

PDCに加え、ポートランド都市圏には1978年に創設された広域行政体のメトロ政府があります。『ポートランド』によれば、メトロ政府は3つの郡と25の市を管轄する、これまた日本にはない組織です。メトロ政府は長期的な都市計画と将来像を描く役割を担うそうですが、PDCと異なるのはどのような点でしょうか。

山崎

メトロ政府は運営母体が大きく、管轄の行政区域全体から選出された6名の評議員と、最高責任者であるメトロ・プレジデント1名で議会が構成されます。その下にさまざまな部署が存在し、約1,600人の職員が働いています。都市計画に従事するのはその一部の部署です。メトロ政府の都市計画部は経済的な合理性を重視し、公共交通を軸に計画を立てます。このときに公共交通の整備と運営を担う実施部隊として、16社ほどのバス会社を統合したトライメットという組織と共同で計画を具体化します。

浅子

1,600人というのがまず驚きですね。ポートランド都市圏では農地と自然を守るために都市成長境界線が設けられ、都市開発が際限なく広がるのを抑制しています。この境界線の管理はメトロ政府が担うそうですが、メトロ政府とトライメットのあいだでどのような役割分担があるのでしょう。

山崎

メトロ政府がまず大枠のプランをつくるのですが、その過程で、3郡25都市が個々に策定した10-20年先までの計画を組み込んでいきます。そうして全体的な計画案を作成した後、トライメットが公共交通の軸線を引き、両者で都市境界線内の密度を高める具体的なプランを練り上げていきます。そうすることで、将来開業予定の公共交通のルート上に街の拠点をつくり、人口増を見込んで路線沿いの土地を先に取得しておくことができるようになります。メトロ政府は交通インフラを司るトライメットと連携することで、土地の用途や住居の数も先回りして計画することができます。

浅子

日本に置き換えると、メトロ政府は県のように分散した地方自治体では扱えない全体を束ねる上位組織といったイメージでしょうか。

山崎

自治的な階層で例えれば、東京都とそれを構成する23区や多摩地域、島嶼部との関係に近いかもしれません。メトロ政府の上位にはさらにオレゴン州政府があり、それが東京にとっての日本政府に近い存在です。オレゴンという国のなかにメトロ政府があり、それを構成する3郡25都市がある感じでしょうか。ただ、アメリカのほかの州にメトロ政府のような組織はないんですよ。アメリカ合衆国の一般的な構造は、最上位に連邦政府があり、次に連邦政府の出先機関となる州政府があります。さらにその出先としての郡(カウンティ)があって、これに市が付随します。ただし、すべての国土に市域が敷かれているわけではなく、地域によっては郡が直轄する場合もあります。こうした地域には市のサービスが介在しないため、多少の不便さも辞さないことを自ら選んだ人たちが住んでいます。その唯一の例外が、オレゴン州と郡のあいだに介在するメトロ政府です。この下では、市のサービスを受けられなくともそれと同等のサービスを提供する事業者をメトロ政府があらかじめ指定しているので、いくばくかの利用料を負担する代わりに市内よりも低い税率で暮らせるメリットがあります。

メトロ政府が管理する都市成長境界線を望む

メトロ政府が管理する都市成長境界線を望む
写真=メトロ

浅子

日本の都市開発は、行政ではなくデベロッパーが主体となることが多いのが実状です。そこではデベロッパーがさまざまなアイデアを持っているのに、行政が障壁になってスムーズに実現できないこともあります。PDCやメトロ政府があることの利点は、長期的なビジョンを描けることですね。先々の計画が具体的に立てられる。日本でも見習うべき部分が多いと思うのですが、どうすれば今の状況を変えていけるでしょう。

山崎

僕はPDCにいたので行政側をひいき目に見ている部分もあると思うのです。ひょっとするとポートランドのデベロッパーのなかには、行政側に「もっとこうしてほしい」と思っている向きもあるかもしれません。私が見聞きした範囲で言えるのは、ひとつ目が人事の問題です。日本の行政は異動が多いのでどうしても専門的な知識やノウハウをもった職員が育たないデメリットがあります。そして2つ目がコミットメント(参画)の差。役場職員のコミットメントは職業的な枠のなかで線引きされてしまい、地域を変えるまでには至らないことが多いような気がします。同様のことはデベロッパーにも言えると思います。日本のデベロッパーは大部分が東京か大阪の企業ですよね。そうすると地域からお金を吸い上げることが目的になってしまう。そうではなく、地域を育てて、地域に還元できるように開発しなくては、結局、お金持ちがさらにお金持ちになるだけで本末転倒のような気がします。

浅子

頭が痛い話ですがそのとおりですね。さらに少し大きな地方のイベントなどでも東京の広告代理店が入ってきてしまう。逆にPDCや地元のデベロッパーが個々の職務のなかで、地域への貢献に高いプライオリティを置くのはなぜでしょう。

山崎

持続可能性という目標に対して自分たちの決断が最も理にかなったアクションだと認識しているからだと思います。西海岸の都市のなかで、サンフランシスコやシアトルに比べれば、オレゴン州は本当に目立たない地味な地域です。都市成長境界線を設定するのも、自然に頼れなくなったら自分たちの街が持続不可能になってしまう。逆にポートランドもほかの大都市のように儲けたければ、資本主義にどっぷり浸かり、株主本位の企業をどんどん入れればいいのです。でも、そのシミュレーションを重ねた先にあるのはロサンゼルスのような都市でしかありません。拡大路線によって都市化が進んだ挙句、巨大すぎる街ができあがる──、オレゴン州はそのことを1960年代に反面教師として学んだのだと思います。公害問題が各地で表面化し、自分たちがどのようにしてこの町を始めたのか振り返ったとき、おそらく自然環境や近密なコミュニティが原点にあることに思い当たった。自分たちの基本に最も忠実だったのがポートランドという街だったのかもしれません。

DIY精神というブランド

浅子

ポートランド発のブランドが日本でもこの5-10年ほどでずいぶん知られるようになりました。カスタムバイクのフレームづくりで世界的な人気を誇るVanilla Bicycleのように、ポートランドの人たちには、欲しいものは自分でつくる気質があるように感じられます。今のお話を聞いて、こうしたDIY精神は都市開発の分野においても共通した志向なのかもしれないと思いました。ポートランドという都市をある種のブランドとして見るとき、山崎さんがオリジナリティを感じるのはどのようなところでしょうか。

山崎

ポートランド市民はできるかぎり遠くに行かず、多くの人が地元で生活できるようにローカルにコミットするのが特徴と言えます。私は「20分コミュニティ」と呼ぶのですが、みんなちょっとした用事でも徒歩や自転車で出かけてすぐに帰れる範囲ですべてを済ませたがる。足りないものがあれば、地域につくってしまおうという志向です。そして、自分たちの自然環境や生活環境を守るために、ライフスタイルを変えることも辞さない。自動車から自転車に乗り換えたり、生ゴミを集めて堆肥をつくったりといったことを真剣にやるのもそうです。そういう気質が老若男女問わず通底しているんです。だからこそと言うべきか、みんな若々しくて忙しいんですよ。例えばジバの創業者、ソーラ・ボスーギ(Sohrab Vossoughi)はポートランド在住歴40年のイラン人ですが、じつは最初のUSBフラッシュドライブを設計した世界有数の発明家でもあります。それほどの実績をもった人が普段、ネルシャツにジーンズで仕事をしている。忙しいというのも、日本のビジネスマン的な多忙さとは違い、サイドビジネスからお父さん業やPTA会長まで全力で打ち込むからこそのことです。とにかく人生を全うしようと一生懸命な人が多いのがポートランドらしい。


そして、地元愛の熱さ。例えば、ポートランド市民がブーツを買おうというとき、リーズナブルな価格でそこそこのスペックのものが手に入るとしても、多くの人が地元でつくられたやや高価なダナーのブーツを選びます。ダナーがポートランドの企業であることももちろん大きな理由のひとつですが、彼ら彼女らは何よりもダナーのブーツが持っているストーリーにほれ込んでいます。つまり、地元のビル・ダナー氏が考案した製造方法──イタリアのビブラム社から仕入れたソールを使い、ミネソタ州のレッドウイングと同じ革をゴアテックスと張り合わせる、ぬかるみでもまったく水が滲みないつくり方──に誇りを持っている。こうしたことを嬉々として語るのを聞くとポートランド愛の強さを感じます。

浅子

ダナーそのものがブランドであると同時に、ポートランド市民がそれを語ることで「ポートランド発」もブランドになるのですね。オリンピック・パラリンピックを控えた今、都内のいたるところで東京キャンペーンを目にしますが、なかなか成功しているようには見えません。この違いはどこにあると思いますか。

山崎

ブランディングについてジバで教わったことがとても印象に残っています。彼らによれば、ブランディングとはすでにブランドになる力をもったものを宣伝するためのアクションであり、ブランドメイキングとは根本的に異なるものです。その意味でポートランドが成功したのはブランドメイキングなんですよ。ブランドが生まれるまでのプロセスにエッジが効いている。自分たちらしさが自然に具現化されているその状況をブランドにしているから、わざとらしくならず、メッセージも力をもつのだと思います。

浅子

なるほど……、東京はブランドをつくることや、育てることをせずに、ブランディングだけを行なっていると。

山崎

そもそも何のためにそれをつくったのか忘れてしまうと、ただのラベルになってしまうんですよね。

ポートランドのブーツブランド、ダナーの工房

ポートランドのブーツブランド、ダナーの工房
写真=山崎満広

浅子

ところで、ポートランド以外にもおもしろいと感じる都市はありますか? 日本の高校を卒業後に渡米なさったそうですが、ほかにどんな街に住まわれたのでしょうか。

山崎

それほど転々としていたわけではないのですが、僕はテキサス州のオースティン市でもしばらくコンサルティング会社に勤めていたことがあり、この街はとてもおもしろいと感じました。オースティンはアメリカ国内でもポートランドに似ていると言われ、ポートランドは周囲を山や川、海に囲まれているのに対し、オースティンの都市部は東側がハイウェイを境に砂漠と農地が広がっていて、ダウンタウンの西側は丘陵地帯と湖と川がある自然と隣り合わせのコンパクトな街です。テキサス州がユニークなのは、州憲法の第一条にこの州が合衆国からいつでも独立できることを謳った条文があるように、人々の独立意識が高いことです。そのなかでもオースティン市民のあいだには、自分たちはテキサス州のほかの都市の人間とはちがうと考える意識が強く、民主主義的で、古い考えは捨ててでも新しいことを始める文化的な島国といった趣です。こうした気質は農業が盛んで資源も豊富な環境も背景にあるかもしれません。

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公開日:2019年11月27日