対談 4

福祉の現場から考える ──多様性を包摂する空間

乾久美子(建築家)× 家成俊勝(建築家)| 司会:浅子佳英

だれのためのデザインか

対談の様子

福祉と建築をもう少し大きく捉えて話をしていきたいと思います。トイレのLGBTs対策と同じように、建築における福祉対策は、主に高低差をなくすためにスロープを付けるというような対症療法的な方法論が主流で、その動きは少なからず産業界と結び付いているところもあります。最初に出たLGBTsとトイレの問題が盛り上がっていることの理由のひとつに、そこに市場が形成されることへの期待が少なからずあるといえるでしょう。

しかし私は、さまざまな課題を見つけ出し、それらに対して対症療法的に対応していくことへの限界も感じます。もちろん気づいたものから対応していくべきだけれど、はたしてそれだけでいいのか。実際に自治体の仕事をしていると、スロープを付けてほしい、エレベーターのボタンは左右になきゃだめといった障がい者福祉団体から出てくる意見が強く、それに対して回答しているだけという状況に陥りやすい。その意見は、要求のための要求ともいえるような場合もあり、それが本当にいわゆるユニバーサルデザインになっているのか疑わしいところがあります。つまり、だれに対する福祉なのか、だれに対するデザインなのかがわからなくなるんですね。先ほどと繰り返しになりますが、福祉の対象のバリエーションは無限といえると思います。それに対して、気づいた先から対応していくのが正しいとはいえそうにありません。本質的な意味で、ユニバーサルな状態とはなにか、インクルージブな状態とはどういうことなのかについて、デザイン側がどのようにアプローチできるのかは、本当に難しい問題だと感じています。

家成

いわゆるユニバーサルデザインというのは、いろいろな人が平等にひとりでどこへでも行けることが前提になっていると思います。「ひとり」を前提にしているがゆえに、助け合うとか、お互いの足りないところを補い合うようなことから分断されてしまっている気もします。ひるがえって考えると、健常者にも行けないところはけっこうありますよね。たとえば、裏原宿の古着屋だったり、秋葉原のアニメショップなど、自分には未知の領域の文化圏に属する店には入りづらいということはあると思うんです。身体的なバリアだけではなく、健常者にも精神的に行けないところがある。人には平等にどこへでも行ける権利が必要だとは思いますが、行けないところがあることも同じように大事なのではないかと思います。あそこらへんは不良が多くて、行ったらからまれるから行かないほうがいいとか……。どこへでも行けるけど、どうしても行けないところがある。全員がどこへでも行けるように対症療法的に設備を付け足していくよりは、なにか別のやり方でクリアしていくことができないのかと思うんです。

浅子

面白いですね。つまり設備ではなく人で対応するという話ですね。完全にハードウェアだけでなんとかするのは難しいでしょうから、どこかに人は残るんだと思います。

ひとりで行けるようになりたいという彼ら/彼女らの生きる欲求や権利は当然あるので、それは設計者として粛々とスロープを付ける努力はすべきだと思いますが、一方でスロープなどにはじまる補助的な要素を物理的にどんどん付け足していくことによって、われわれの想像力が失われていくことは危険ですね。「スロープがあるんだからいいじゃん」と、介助をしなくなってしまうかもしれない。それはやはり避けるべき事態です。

浅子

そうですね。そもそも人間は不平等です。姿も形も違う人たちがランダムに生まれてきて、あるとき障がいをもって生まれてくることもある。しかし現代では「平等であれ」という強い圧力が社会に存在しているように思います。あらゆる人々がインターネットで自由に発言できるようになったことで、全員が平等であれという力はますます強くなっている。ただ、人はそもそも一人ひとり違うのだという認識に立って考えないと、乾さんの問題提起も解決しない。スロープで対処できることは粛々とやるべきだけど、一番大事なのは人々の意識を変えることです。「平等」ではなく「自由」へと人々の気持ちをシフトすることのほうがどれほど大事なことかと思います。

家成

平等のベースラインがどこにあるかもあやしいですしね。他者への配慮のなかでの自由ということですよね。

浅子

各個人がそれぞれ最大限自由にふるまえるような社会をどうやれば実現できるのかだと思います。

同時に、福祉における平等を語るのは難しいところがあります。村上春樹の『海辺のカフカ』(新潮社、2002)には、福祉と圧力の問題を扱ったエピソードがあり、なぜか記憶に残っています。ディテールが間違っているかもしれませんが、主人公であるカフカが通っていた小さな私設図書館の司書が女性のトランスジェンダーなのですが、フェミニスト系かなにかの圧力団体がやってきてトイレが男女共有でひとつしかないことを問題視し、ささやかな私設図書館にもかかわらず、お金をかけて改修するべきだと身勝手な主張をする。しかも、彼女たちはその図書館の日常的な利用者ではないのに。それに対して司書が「私は気にしていません」と本人の立場から反論するのです。福祉の問題が硬直化して政治のツールになってしまっていることに対する批判として書かれたのだと思います。

『海辺のカフカ』のエピソードは極端だとしても、この類の話は現実に存在していると思います。それを変えるために、アートをはじめとする新しいムーヴメントがあるのだと私は理解しています。これまで福祉というと、少なからぬ割合でロビー活動の場でもあり、それを変えようとする人々がアートに希望を託しているのではないかなと。ちょっと偏った見方かもしれませんが、少なからずそういう側面はあるかなと思っています。

村上春樹『海辺のカフカ』

村上春樹『海辺のカフカ』

浅子

そうした状況のなかでアートが存在感を増してきている。

ええ。義務的に対応しなくてはいけないという次元を超えたものへと、福祉の問題を変換するという大きな働きをもっていると思います。ただもちろん、これまでの福祉関係の要求が設計物の性能に対するチェック機構になっていることは否定してはいけないとも思っています。

浅子

もっと言うと、設計者はアートなどの文脈からしか関われないのかもしれないですね。そのほうがポジティブでもありますし。

家成

『海辺のカフカ』では、当事者が実感を込めて「気にしていない」と言えているところがいいですね。「公共」の枠組のなかでは具体的な使い手のイメージを伴わないがゆえに発言のバランスが崩れていく場面が多々あります。一方、それに対してだれかひとりが対抗しても、「君以外の人はそうじゃない」という理屈で押し通されてしまう。そうやって顔が見えない「公共」のもとで福祉がひとり歩きしていってしまうということなんでしょうね。

浅子

想像上の弱者を想定してしまう。

それはありますね。最大公約数的な人物像ですよね。

アマチュアリズムとプロフェッショナリズム

浅子

最後に、話に厚みを持たせるために、少し福祉の問題からは離れるのですが、アマチュアリズムとプロフェッショナリズムについて考えてみたいと思います。日本では戦後、建築家が住宅の設計をするような状況が訪れました。各個人が自分のほしいと思える住宅を、設計のプロフェッショナルである建築家に依頼して実現できるようになったという意味で、とても意味のあることだったと思うのですが、他方で一般の人々が自ら住宅を設計できるようになればもっとよいという考え方もあります。言い換えれば、それは住まい手が自分の思うように住宅をつくれる社会がくるということです。ホームセンターが整い、DIYやセルフビルドなど、ユーザー自身がつくることが近年とても身近になってきている。にもかかわらず、日本ではなかなかアマチュアによる家づくりは普及しません。その理由は、実際にできるのだということを示す旗振り役が少ないからではないか。家成さんたちdot architectsの活動を拝見していると、家づくりの技術をアマチュアの人たちに橋渡しするような側面があると思います。

家成

現代では特にプロフェッショナルな世界は分業化が進んでいますが、アマチュアは領域を横断できるので、アマチュアだからこそできることがあるかもしれませんね。じつは最近、飲食店を始めたんです。いわば超アマチュアなのですが、やってみて初めてわかることもたくさんあるんです。喫茶店と食堂とバーのあいだにフリースペースを設けたところ、ある日そこにおばあちゃんがやってきて、置いているテーブルを杖でガンガン叩きながら「こんなんよりええテーブル持ってるからうちにとりに来い!」と言うんですよ。ほかには卓球の話しかしないおじいちゃんが来たりと、普段はけっして出会わない人と出会うことができる。こういう人たちでこの街はできているんだとわかったりして、なんというか、言いようがなく面白いんです(笑)。

dot architects《千鳥文化》

dot architects《千鳥文化》

dot architects《千鳥文化》(ともに写真=Mai Narita)

dot architects《馬木キャンプ》

dot architects《馬木キャンプ》(写真=Yoshiro Masuda)

僕たちはできることは自分たちでやろうというスタンスなので、施工者としてはセミプロだと思います。おそらくきちんと足場が組まれた工事現場だと入りづらいはずですが、僕たちの場合は脚立を使ってつくっているので、外から関わってきやすいのかもしれません。「なにつくってんだ」とよく声をかけられるんです。そうやっていろいろな人とのつながりができていくのは、アマチュアであるがゆえだと思います。

浅子

いまの家成さんのお話を、僕は途中から完全に福祉に置き換えて聞いていたのですが、dot architects的な人が福祉の分野でも出てくると、もしかしたら少し社会が変わるかもしれません。実際、かなりの可能性をもっているのではないでしょうか。

福祉の現場で働く人たちはプロには違いないのですが、悪い意味でのプロフェッショナルではないように思います。先ほども言いましたが、困難さを伴うハードな仕事であり、従事者たちの無償の愛に支えられている側面が大きくあり、技術的なプロという存在を超えているように思います。また、仕事の内容は家事の延長として捉えることができるので、アマチュアとプロの境が曖昧なものでもある。そうした存在なので、単純に施設を開くだけでもなにかが変わるように思います。

家成

友人の父親がやっていた家業が傾いた時に、友人の母親は以後介護福祉の仕事を始めたんですね。50歳からのスタートでもこなせているみたいですし、なにより仕事を楽しんでいるようです。そういう話からも、プロフェッショナルとアマチュアの境目について考えさせられる職能だと言えるかもしれませんね。

浅子

パブリック・トイレという特集をやる以上、福祉は避けて通れないテーマだとは思っていたのですが、福祉について語ることは二重の意味で困難が伴うと感じていました。ひとつめは今回も何度も語ってきたように、社会が福祉の現場を見えなくさせる構造になってきていること。2つめは、自分自身が健常者であり、さらに専門家でもないために、語ることそのものにどこか後ろめたい感覚があったからです。この感覚はいまでも拭えないのですが、語ることを諦めてしまうと、より見えなくなっていってしまう。その意味で、バザリア法の話は示唆的でした。障がいのある人をケアすることも大事ですが、それと同時に障がいを特殊なものとして隠してしまうのではなく、街の中に普通にいる社会になることが重要なのだろうと思います。そしてなにより、福祉施設は大きな家のような存在であり、だからこそアマチュア的であってもできることがあるという話からは、普段は語ることが難しい福祉について語るきっかけができたように思います。お2人にお話を伺うことができて本当によかったです、本日はありがとうございました。

2017年10月28日、乾久美子建築設計事務所にて

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公開日:2017年11月29日