インタビュー 1

これからの都市と住まいを考える──ショッピングモール、公園2.0、フードトラックから

速水健朗(ライター、編集者)+浅子佳英(建築家、プリントアンドビルド)

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速水健朗氏+浅子佳英氏

浅子佳英氏(左)、速水健朗氏



マイホームとタワーマンション

浅子佳英

本日は、ライターで編集者の速水健朗さんをお招きして、これからの社会と住まいについて、特に都市生活に力点を置いて、お話をしたいと思います。まず僕と速水さんは古くからの友人で、知り合ったのは10年ほど前にご一緒したショッピングモール研究の仕事だったと記憶しています。とはいえ、最近は全然お会いしていなかったので、楽しみにしてきました。よろしくお願い致します。
当時、ショッピングモールは、一般の人には積極的に受容されていた反面、建築家も含めた専門家からは批判の対象になることが多かったですね。

速水健朗

今日はよろしくお願いします。当時、ショッピングモールって日本の社会的にもさほど関心をもたれていない分野だったんですよね。それを批評家の東浩紀さんと一緒に取材して文献を持ち寄ったりして調べているうちにおもしろくなり、他ジャンルの人たちとも一緒に研究するようになった。浅子さんともそのときに知り合いましたよね。その後も僕は都市計画や都市に関心を持つようになったんです。『東京どこに住む?──住所格差と人生格差』(朝日新書、2016)などの仕事につながっています。

『東京どこに住む?』

速水健朗『東京どこに住む?
──住所格差と人生格差』

浅子

速水さんが『思想地図β vol.1』(コンテクチュアズ、2010)のなかで紹介されていたバーナード・J・フリーデン+リーン・B・セイガリン『よみがえるダウンタウン──アメリカ都市再生の歩み』(北原理雄監訳、鹿島出版会、1992)では、ショッピングモールを、ダウンタウン再生をもたらす可能性があるものととらえられていましたよね。その具体的な事例としてアメリカの建築家、ジョン・ジャーディが手がけた《ホートンプラザ》(1985)が紹介されています。一般的にはショッピングモールというと郊外に立地しているイメージですが、《ホートンプラザ》はサンディエゴのダウンタウンに計画されました。ただ当時のサンディエゴの中心部は荒廃していて、しかも周囲にはすでにモールが複数存在していました。そのため普通のプランではうまくいかないとジャーディは考え、アウトモールにして、道はくねくねと折れ曲がり2つの歴史的建造物を内包した街のようなショッピングモールを計画します。いわば、「街」を自然発生的ではなく、新たに設計しようと試みたわけです。《ホートンプラザ》はいま見ても先進的なプランで、あらためてジャーディの設計力の高さを痛感します。

最近、ジャーディの日本での仕事の嚆矢になった《キャナルシティ博多》(1996)に行ってきたのですが、あそこもなかば外に開かれたモールになっていますね。その後、彼は日本で多くの商業施設の設計に関わり、《六本木ヒルズ》(2003)の商業エリアや《なんばパークス》(2003)などを手がけることになりますが、《キャナルシティ博多》は突出してよくできている印象です。《キャナルシティ》はグランドフロアが一層下がっているので、外から見るとつながって見えるのに、中からは外の景色があまり見えないようになっている。その結果、完全に外に開かれているわけではなく、かといって完全に内に閉じているわけでもない、内部空間の盛り上がりを保ちつつ外部にもつながっているような、巧みなバランスの空間が実現している。

ジョン・ジャーディ《キャナルシティ博多》

ジョン・ジャーディ《キャナルシティ博多》
Pontafon, CC BY 3.0

速水

よくショッピングモールと地方商店街のシャッター街化が結びつけられますが、批判の理由のひとつに、モールが建物内で完結し、来た客を外部に流さないからといわれます。モールができて地域と分断してしまうと。でも、そうでなく地元と結びついているモールも多いですよね。《キャナルシティ》は中洲と博多駅の中間を結ぶくらいの位置にあって、ゲート的な役割を果たしているし、内と外のバランスができている。ジャーディの仕事にはそういう施設が多いと思います。

浅子

おっしゃるとおりで、この「これからの社会、これからの住まい 2」はパブリック・スペースの研究を経由しているのですが、こと現在の日本の公共空間について考えるうえでは、ショッピングモールについて考えることは避けて通れないと思っています。

速水

僕や浅子さんが東浩紀さんたちと最初にショッピングモールをテーマにして雑誌を作った当初の関心は、消費社会の象徴としてどう考えるかでした。でも、その段階はすぐに過ぎて、新しいパブリック・スペースとしてのショッピングモールという議論になった。ちなみに当時、ある出版社の編集者にショッピングモールと公共圏みたいな企画を話したら、本当に鼻で笑われました。反資本主義っぽい立場の人たちからは、ショッピングモールは、悪しき商業主義の尖兵に見えている。でも、そう思われる存在だったからモール研究っておもしろかったんです。モールの生みの親のひとりであるビクター・グルーエンっていう都市計画家が何を考えたかを辿ると、都市がなぜ衰退したかという問題に行き当たる。そしてモールを使った都心再生の動きが、モールの手法で生まれてもいる。そのひとつの例が先程の《ホートンプラザ》だったりもします。

浅子

批判の対象になっていたものこそが重要な役割を果たしてきたのではないかということですね。そのことを住まいに当てはめて考えると、同じことはタワーマンションにも言えると思うんですよ。僕はタワーマンションのすべてがいいとは思いませんが、それにしても現在の風潮は、地方移住や田舎暮らしが正しい選択であるかのような言説ばかりが流布さされ、批判する方向に傾きすぎていると感じます。タワーマンションは単なる投機の対象ではなく、住んでいる人がたくさんいるという当たり前の事実から考えたほうがいい。通勤に片道1時間半もかかる郊外の一戸建てと、通勤に便利な都心部や湾岸部のタワマンとの二択であれば、僕でも後者を選びます。そういう現実の生活を抜きにして反射的にタワマンはダメだと言っても仕方がない。

速水

ネットでは「タワーマンション」と言うだけで悪意がすごい(笑)。階級格差の象徴と思われている。でも実態はそうでもなくて、タワーマンションが一気に増えるのは、2000年代半ば以降ですが、ちょうど団塊世代の定年退職とその子どもの団塊ジュニア世代が子育ての年代に入った時期でもあって、退職金が住宅ローンの頭金になったりしてやりくりしている人たちも多い。あとタワマンは、団地から移った高齢者も多いですよね。郊外にマイホームを建てた世代が、結局、都心回帰している層とも重なっていると思うと興味深いです。

浅子

実態を見ずになんとなくのイメージで叩くという意味では、ショッピングモールもタワーマンションも似ていますね。人口予測などを見ても、東京の西に広がった郊外の住宅地はこれからどんどん減少していくという見方がありますし、都心への一極集中は今後ますます進んでいく可能性が高い。

国土の均衡ある発展

速水

世界的に大都市の中心部の不動産価格が高騰していますよね。でも不思議と東京にはそこまで高騰してないんです。いくつか理由はあるはずですが、東京の場合、バブル経済の崩壊で湾岸地域の開発が頓挫したことが関係していると思います。そこが2000年代以降にようやく手が付けられ、住宅が供給された。あとオリンピック以前には、オリンピック後に不動産が急落するという説もありますが、不動産業界の現場の人たちからはそんなことはあまり聞きません。そもそもいまどきの東京の開発は、オリンピック前からある計画なので、オリンピックとは無関係にニーズがずっとあったと言いますよ。一方、地方創生はこの東京一極集中を食い止めて地方にお金や人口を分散させようという政策ですけど、こちらはもっと批判されていい。小さな成功例ですら聞かないです。

浅子

そういう現状があるにもかかわらず、なぜ日本ではお金をかけて地方創生をやろうとしているのでしょうか。

速水

もちろん都市への人口集中は、独立して存在しているわけではなく、食料やエネルギーの供給とつながる話で、農業をどう守るかとも関係があります。

浅子

しかし、日本でこれから農業がどれだけ発展するかと考えると、国土に占める山林の割合も多いですし、高級農業くらいしか発展する見込みはないのではないでしょうか。

速水

日本の農業も後継者不足が言われていますけど、じつは前向きになれる面もあります。日本の米農家は、ずっと守られすぎと言われてきましたが、それってそもそも存在する土地の割に従事する人数が多かったという問題でもあります。その過当競争が適正競争に近づき、個々の農家経営は今よりも上向きになって、参入者も増える可能性はありそうです。ルートさえあれば、第一次産業に従事したいという人たちは多いですよ。

浅子

適正な競争が行われない限り守ることもできないといういまの話は、商店街についても言えますよね。

速水

まさに似た部分はありますね。でもショッピングモールの取材なんかをやっていたあとに、5年くらいデベロッパー側の人たちの勉強会に入れてもらっていたことがあるんですよ。そこでデベロッパーと商店街の協力体制みたいな話も数多く聞きました。必ずしも敵対しているのではない。商店街の米屋がモールのレストランに卸すなんていうことがよくあります。シャッター商店街って、シャッターは下りてるけど、BtoBの部分は結構残っているという。

都市の24時間化の流れは解消されるのか

浅子

収録している本日7月9日現在、オリンピックを間近に控えていますが、新型コロナウイルスの世界的な流行は、ある程度ワクチンが普及したとはいえ、依然として収束する気配がありません。パンデミック以前の世界にいつになったら戻るのか、なかなか見通しが立たない状況が続いていますね。

速水

世界的な再感染が広まっていますね。そのなかでアメリカは独立記念日の7月4日に合わせてバイデン大統領が「COVID-19からの独立」の目標を宣言して、新型コロナ禍以前の営業状態にほぼ戻しました。イギリスのきっかけは、サッカーの欧州選手権の決勝戦です。ロンドンのウェンブリー・スタジアムで観客の上限を6万人以上に引き上げることを発表しました。感染者数は増えているなかで批判もあるんですけど、サッカーだったというのがイギリスらしい。

浅子

「ユーロ2020」は、観客もマスクなしで大盛り上がりしていて、コロナ禍以前と変わらない様子に驚かされました。対して、日本ではオリンピックをはじめ多くのイベントで無観客や厳しい人数制限が課され、マスクをしていても声は出せないという状況です。向こうは1日の感染者数が2万人以上いるのに対し、東京の感染者は多くても千人単位で、死者でいえばさらに少ない。ヨーロッパの状況を考えれば、オリンピックは無観客にする必要さえないのではないかと思えてしまうのですが。

速水

政治への信頼がない日本ではいろいろ難しいですね。それはともかくオリンピックが近づく東京の街の変化についても話したいと思います。いまは夜中に飲食店がやっていないという異常事態が続いている。ラストオーダーは19時で、夜の20時には閉めないといけない。一時的なものかと思いきや、2021年はほぼずっとそうなってますよね。僕のようなライターの仕事だと夜にやっているカフェとか本屋とかを利用する機会は多かったんですけど、それが一切できなくなった。街が24時間にぎやかである必要はないとはいえ、せっかく存在する都市インフラを大半の時間閉めているのはもったいない。そして、これは新型コロナが解決されても戻らないかもしれない。生活習慣は一度身についたら離れないから。一方で、お店がやってないことで生まれているのが、ストリートや公園でお酒を飲む「路上飲み」「公園飲み」ですが、これこそ都市と公共の延長線で考えるべきテーマだと思います。路上飲みは感染を広げるとバッシングされていますが、じつはコロナ前から流行っていたものでもあった。

浅子

路上飲みは、うちの近所でも多いですが、やっている人たちは楽しそうですよね。

速水

本来は、屋内店舗よりも感染リスクは低いですよね。まあデメリットも多いですが。治安、騒音、ゴミのポイ捨てとか。知り合いの店も店先に吐かれたりして迷惑って言ってました。そもそも既存の飲食店が収益を減らす問題もある。今日は渋谷の《ミヤシタパーク》の話をしたいとなと思って来たんですけど、《ミヤシタパーク》には公共圏とコロナ後を考える上で重要な要素がたくさんあるように思います。たまたまコロナ渦でオープンしたのは不幸でしたが、公共の公園とショッピングモールのどちらでもある《ミヤシタパーク》は本当に興味深い存在で、たまに観察に行きます。今は屋上の芝生は、コロナ禍で入れないようになっていますが、そうなる前は友だちと適度な距離をとって集まるには最適の場所でした。そして、圧倒的に若者しかいません。そんな場所はいまどきないです。そこにはなんか理由がありそうな気がしています。でも《ミヤシタパーク》は一部で評判が悪い。特に公共とは何かを考えるプロパーの人たちには、悪しき存在に見えるんでしょうね。

《ミヤシタパーク》
《ミヤシタパーク》

《ミヤシタパーク》
編集部撮影

「公園2.0」へ

浅子

建築家や社会学者の批判を集めたという点でも、《ミヤシタパーク》はショッピングモールの状況と似ていますね。旧宮下公園はナイキジャパンとの命名権の問題や、デモ運動の拠点だったこと、さらに路上生活者が住んでいたりと、批判しやすいフックがいくつもあった。ただ、宮下公園だった頃は辺りも暗くて、小さな子どもや家族連れには近寄りがたい雰囲気を持っていたことも事実としてはありますよね。

速水

反対運動の象徴の場所になっていた。一方で、使いにくい公園を市民が安全に利用できるものに作り直すというのは、地元として望まれていることではありました。今の東京でどんどん変わっているのは、商業施設ではなく公園や歩道などのスペースでしょう。池袋の変化はその象徴で、《南池袋公園》や《イケ・サンパーク》みたいな。

《南池袋公園》

《南池袋公園》
編集部撮影

浅子

《南池袋公園》や《イケ・サンパーク》は、芝生が整備されていたりカフェがあったり、昔ながらの公園のイメージとはかなり違っていて、ホームレスの人が近寄れる雰囲気ではないですよね。ああいった公園で行われた実験の蓄積がミヤシタパークに引き継がれているように思います。

速水

バージョン2.0の公園は、芝生が主体で大きな樹木はあえて植えないんです。木がないということは木陰がないので公園としてはダメじゃないかと思うかもしれませんが、死角が減るのでセキュリティ的に優れている。公園が近いとふつうは環境がいいと思われますけど、いくら代官山でも夜の西郷山公園とかちょっと怖くて近寄れないですよね。あれは、鬱蒼としているからだったんだって気がつきました。

浅子

なるほど、たしかに「公園2.0」に木はないですね。南池袋公園は周囲の住民にヒアリングしたところ、じつは女性や子連れの人たちが多く住んでいることがわかり、彼女たちの意見を取り入れるかたちでカフェや芝生を整備したそうです。実際、利用している人も女性や家族連れが多い。木で視線が遮られることもなく、あれだけオープンな空間になっていると、利用している人たちのあいだで相互監視のようなことが自然と起こるため、高いセキュリティ空間が維持できている。

速水

パブリック・スペースって誰でも利用できるというだけでなくって、利用している人たちがみんなでその場をつくっていると意識できることが重要になってますよね。ルールを厳しく設定するよりも、その場の暗黙のルールを生み出していく。最近の公園は、あまり禁止事項が書かれていない。

浅子

そういう意味では、ショッピングモールが公園のようになるだけではなく、公園がショッピングモールのようになっているという面もあると思うんですね。

速水

その流れで一緒に考えたいのは、ニセ横丁ですね。ニセ横丁も恵比寿横丁、有楽町産直横丁、虎ノ門横丁、銀座裏コリドー街と数も増えてバリエーションも増えていますが、つまりはノスタルジーなどを装ってテーマパーク化した集合居酒屋ゾーンってことです。ミヤシタパークがよくできているなって思うのは、一番下のフロアが渋谷横丁で、一番上を見あげると「sequence」というホテルのルーフトップテラスのバーがあるところです。コロナ渦で庶民は路上飲みをして、富裕層はずっとシークレットのホームパーティをやってたと思うんですけど、《ミヤシタパーク》には、そのすべてが揃っている。コロナウィルス以後の世界のヒントは、《ミヤシタパーク》に詰まってるんですよ。

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公開日:2021年08月25日

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