インタビュー 1

シェアハウスのその後(前篇)

浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)

「一時期話題になったシェアハウスはその後どうなっているのだろうか?」

そんな素朴な興味から、昨年の夏にシェアハウスのその後の姿を訪れる後追い取材を始めることにした。当初はこのように軽い気持ちだったものの、取材を進めていくうちに、これは建築が完成した瞬間ではなく、ある程度建物を使い慣れ、最初の住人も入れ替わった数年後にこそ取材すべきだと思うようになった。

というのも、プログラムとして新しい建築物の場合、必然的に使い方としても新しい建築物になるわけで、まだ使われていない真新しい建築物だけを見ても、ビジュアル的な側面のみを享受するだけになってしまい、得られる情報はどうしても偏ってしまうからだ。これは前々から建築メディアに感じていた矛盾でもある。既存の紙媒体であれ、ネットメディアであれ、建築メディアはどうしても竣工した瞬間の美しい写真ばかりを掲載する傾向がある。最近では人やモノが入った写真を使用することも少なくないが、それでも実際に使われている状態からはどうしても距離があるのだ。

もちろん、メディアに掲載される建築作品と呼ばれるような建築には、ビジュアル的な側面が重要なものもあるし、ぼく自身、設計者でもあるので、その価値はわかっているつもりだ。ただ、シェアハウスのような建築は、その新しいプログラムがどのように住人や地域や社会に定着されうるのかということのほうが、ビジュアル的な側面以上に重要だろう。

どのような工夫が使いやすいのか、もしくは使われやすいのか。逆にどのような工夫が使いにくいのか。どこが汚れるのか、どこが壊れやすいのか。収納ひとつをとっても、オープンにするのか扉をつけるのか。はたまた、プライバシーを守りながらともに住まうといったある種の矛盾した要望はどのようにして解決しうるのか。これらの漠然とした疑問は実際に使われている状態を観察しなければ見えてこない。そのため、今回のような数年越しの後追い取材が有効だということを実際に行ってみて実感した。

取材したのは、《SHAREyaraicho》(篠原聡子/空間研究所+内村綾乃/A studio、2012)、《不動前ハウス》(常山未央/mnm、2014)、《LT城西》(成瀬・猪熊建築設計事務所、2013)の3作品。

あえて建築家ではなく、いずれも運営者へのインタビューを行った。というのも取材を進めていくうちに、運営がきわめて重要だということがわかってきたからである。ただ、これには疑問を抱くひともいるかもしれない。住まいであれば住まい手である住民、公共的な施設であれば使用者や利用者がいるわけで、設計者でなくともエンドユーザーである彼らの意見にこそ耳を傾けるべきだという意見はあるだろう。ただ、取材を進めるうちに、彼らエンドユーザーの視点も重要だが、それと同等か、場合によってはそれ以上に、運営者の視点が重要だということが浮かび上がってきたのである。通常なら裏方である彼らの視点は、じつはその建物がどう利用されうるのかという部分に密接に関係している。実際、話を聞いてみて最も興味深かったのは、シェアハウスに対する考え方がまったくといっていいほど全員違うということだった。例えば、《不動前ハウス》の運営者はすでにある建物や土地を人々と共有するということに少なからず興味を示していたのに対し、《LT城西》運営者はシェアということにはまったく興味がないと言い切っていた。この結果だけをみても、設計者でも住人でもなく、運営者へのインタビューをした価値があるように思う。

せっかくなので、改めてシェアハウスが出てきた背景についても振り返っておこう。

3つの中で最も古い《SHAREyaraicho》が2012年竣工なので、完成したのは今(2020年8月)から8年前。《SHAREyaraicho》はかなり最初期のシェアハウスだが、シェアハウスとしては珍しい新築のシェアハウスで、当時は既存の住宅やアパートなどの建築物をリノベーションしてシェアハウスとして運営しているところが多かったようだ。それらはもう少し前から存在しており、メディアでも話題になったphaによる「ギークハウス町田」とアートプロジェクトとして始まり実際にさまざまなクリエイターが住んでいた「渋家」がともに2008年。ちょうど12年経たことになる。ところで、phaは昨年(2019年)、長年自身も住んでいたシェアハウスを離れて一人暮らしを始めている。その意味でもシェアハウスは当初の新しいプログラムという役割を終えて、社会に定着するかどうかといった安定期に移行しつつあると言えるかもしれない。

また、シェアハウスが話題となった背景には、当時「シェア」という概念そのものが拡がりを見せていたこととも関係している。クリス・アンダーソンの『フリー』(高橋則明訳、NHK出版、2009)とレイチェル・ボッツマン+ルー・ロジャースの『シェア』(関美和訳、NHK出版、2016)がともに『WIRED JAPAN』の編集長だった小林弘人監修によって日本でも出版され、インターネット時代の新しい価値観や概念の到来だとして当時話題になっていた。特にシェアのほうは、「所有」から「共有」へというわかりやすいキャッチコピーとともに社会にその概念が拡がっていっただけでなく、実際のビジネスとしても急成長していく。Airbnbは世界的に拡がり、タイムズのようなカーシェアやUberのようなライドシェアも一般的になり、シェアオフィスに至ってはWeWorkが爆発的な成長を遂げた一方で、2019年には赤字が発覚して上場を取り下げCEOが辞任するなど、ともかくこの10年はシェアについては話題に事欠かない、まさに急速に普及していった時代だった。

とはいえ、シェアハウスについては、明るい話ばかりだけではなく、外国人向けのゲストハウスや、「脱法ハウス」と呼ばれるほぼベッド1台分と極端に狭く、レンタルルームとして運営しているが、実質的には共同住宅として利用されているシェアハウスなどが問題視されるといったこともあった。これらに関しては、悪質な業者はもちろん問題だが、政策や法制度がいまだ核家族をメインにつくられているために実態に追い付いていないという側面もあり、今後実態に即したかたちに変わっていくことも必要だろう。

さて、前置きが長くなってしまったので、前編では1軒のみ紹介することにしよう。

《SHAREyaraicho》

《SHAREyaraicho》は上述のように2012年に竣工した新築のシェアハウス。設計は篠原聡子/空間研究所+内村綾乃/A studioで、2014年には日本建築学会賞を受賞している。

内村彩乃さん

共同設計者で運営者でも住人もある内村彩乃さんにインタビューしている様子。
撮影=板坂留五

実際に訪れてみると、作品名の通り新宿区矢来町の住宅街の一角にテント張りの不思議な外観の建物が道路から少しセットバックして建っている。住宅というよりはアトリエやスタジオといった雰囲気だ。建物の出入りはドアではなくジッパーを開閉して行う。少し屈んで中に入るかたちになるので秘密基地にでも来たような、ちょっとした冒険感がある。

コモンテラス

エントランスを兼ねた作業場1とその上にあるロフトのようなコモンテラス。前面がすべてテントで覆われているので、半分外部のような不思議な場所になっている。
ともに筆者撮影

ファサード

テントで覆われた建物ファサード。長年使用していると入り口のジッパー部分への負担がどうしても大きくなるようで、ジッパーの周辺のみあとからやり変えている。
ともに筆者撮影

入ってすぐのスペースはエントランスを兼ねた共有の作業場で、その奥に共用の洗面とバスルームとトイレ、さらにその奥に小さな庭があるので、行き止まりのない風通しの良い場所になっている。伺った時はちょうど展示会が終わった後とのことで作業場にはハンガーラックに新しい服が並んでいる一方で、すぐ隣では洗濯物も干してあり、住宅でもオフィスでもない不思議な雰囲気を醸し出していた。1階はこれらの共用部の反対側に住人のベッドルームが2つ。さらに2階では中央部に階段と廊下を配して、その前後にベッドルームが4つ。そして3階に上ると1階の反対側(要は1階のベッドルーム側)に共用のキッチンと床座の広間が1階と同様にやはり前後が抜けた状態で拡がり、その横に2つのベッドルームがリビングの床から少しだけ離れて浮かんでいる。

作業場

作業場1の奥につながる作業場2と洗面所。細長いスペースを活かし、長いテーブルと長いカウンターを設置している。
ともに筆者撮影

共用の階段と廊下

[左]1階と3階をつなぐ2階の共用の階段と廊下。
[右]2階にあるこのベッドルームは、決まった住人ではなく留学生や知人などが短期で使用するためのスペースとして空けてある。
ともに筆者撮影

キッチン

キッチン。内村さんと話しているのは取材に同行した建築家の板坂留五さん。
筆者撮影

要はこの建物の内部は、巨大な3層分の大きな建物の中にベッドルームが入ったボックスが少しずつ隙間を開けてずれながら浮かんでいるという構成で、1階から3階まで共有部がひとつながりの空間として立体的に繋がっている。この共用部の立体的なワンルームは、さらに3階のテラスから外部階段を登って屋上に出られるようになっている。ちなみにエントランスのテントはドアと違い、その性質上完全には閉めることができず、床は道路と繋がっている。そのために、内部に入ってもずっと半分外にいるような不思議な感覚で、それがそのまま屋上まで繋がるのだ。周囲にあまり高い建物がないので、屋上は見晴らしのいいとても気持ちの良い場所だった。

ところで、1階と2階の間と2階と3階の間にある、人が入るのには狭すぎるボックスとボックスの隙間をどう使っているのかについては、発表時から気になっていた。聞いてみたところ、その時入居している住人によっても変わっているということだったが、訪問した際は1階にはカメラマンが住んでいて、彼の脚立や背景に使う暗幕や白バックなどの巨大な機材道具がちょうどすっぽりと収まっていた。そして2階と3階の隙間のほうは、使うというよりも空間の拡がりとしての役割を果たしていて、特に床に座るとその隙間のおかげでボックスに下まで床がスッと繋がって見えてくる。この床座の広間がどこか囲炉裏端のような、ゴロゴロとひとりで過ごすのも、みなで鍋を囲むのにもいいだろうなと思わされる、落ち着いた場所となっている。

広間

広間。左の壁が床から浮いているのがわかる。床に座ると、さらにこの隙間がスッと奥までつながって見えてくる。
筆者撮影

広間

広間にて内村さんにお話を伺っている様子。
撮影=板坂留五

“1-3階”

[左]1階から見上げた様子。この吹き抜けを通して3階までつながっている。
[右上]1階と2階の隙間には住人であるカメラマンの機材がちょうど収まっていた。
[右下]3階の隙間にも入っていけるお掃除ロボットのブラーバが活躍しているとのこと。
いずれも筆者撮影

ただ、1、2階の隙間と違って、3階の隙間は収納ではなく床として利用しているにもかかわらず、人が入るのは狭すぎるため、どうやって掃除するのかと聞いてみたら、掃除ロボットが活躍しているとのこと。たしかに人間が入って掃除するには厄介な隙間だが、ロボットならまったく問題がない。こちらは以前入居していた掃除が苦手な住人が購入して使用していたところ、あまりの便利さにみんな手放せなくなり、彼がいなくなった後に、シェアハウスの備品として購入に至ったとのこと。ちなみに使っているのはルンバではなく、拭き掃除専用のブラーバで、耐久性や掃除の確実性ではブラーバが優れているとのことだった。

これはじつはどこのシェアハウスでも共通していて、掃除や片付けなどが、綺麗好きの人に負担が集中することになりがちだ。掃除ロボットはこの辺りの負担を少し軽くしてくれる重要なガジェットのひとつだろう。《SHAREyaraicho》では、掃除も含めて、ある程度話し合って上手く運営しているので、あまり強いルールはないとのこと。ただ、住宅地の真っ只中に建っていて、前面がテント張りなので、どうしても音が外に漏れてしまう。そのために、夜は騒がないということだけは決まっている。

また、運営上で面白かったのは、2階にあるベッドルームの一部はほかの部屋のように月単位ではなく、1日単位や週単位などでも貸せるように開けているということだ。留学生が短期でやってくる際に受け入れたりすることで、シェアハウス全体に変化を与え、人間関係の風通しを良くしている。これらの運営の方法をみても、シェアハウスという新しいプログラムを最大限利用できるように実験しているというふうにも見えてくる。住人の募集については当初のみタカギプランニングにお願いしていたが、その後は人の繋がりで決まっていっているとのこと。

そして最後になるが、じつは設計者の内村綾乃さんが竣工当時からずっと住んでいて、今回お話を伺ったのもこの内村さんだ。設計者がそのまま運営者として住んでいるわけで、当然ながら建物がどうなっているのかについては誰よりも詳しい。とてもユニークで上手い方法だと大いに納得してしまった。なにより内村さんがとても魅力的な人で、おおらかで一緒に暮らしていれば楽しいだろうなと感じる人だったというのも大きい。そして、ネタばらしになるがシェアハウスについては運営者について聞くべきだというアイデアを思いついたのも、最初にお話を伺ったのが内村さんだったからである。

ともかく、《SHAREyaraicho》はオフィスや施設のようなドライで無機質な雰囲気でもなければ、住宅にありがちな親密でアットホームな(批判を承知で言えば)ベタベタとした家庭的な雰囲気でもない、どこかドライでどこかで暖かみのある不思議な魅力のある場所になっていた。外観の印象にあったアトリエやスタジオ的な、ずっと動いているような活動的な雰囲気があり、それはサラリーマンやOLばかりでなく、カメラマンなどの住人がいることや、内村さん自身が仕事をしながら住んでいるという部分も大きいだろう。また、オーナーもたまに訪れて3階のリビングで飲むこともあるそうで、シェアハウスという人がある空間を共有して住まう場所を上手く使いこなすには、なにより寛容であること、と同時にそれを楽しむことが重要だと改めて感じた建物だった。

屋上

屋上。ハーブを植えたり、ビールを飲んだりして楽しんでいるとのこと。
筆者撮影

後編では、《不動前ハウス》と《LT城西》という2つの建物を運営者のインタビューを交えて紹介する予定です。

浅子佳英(あさこ・よしひで)

1972年生まれ。建築家、デザイナー。2010年東浩紀とともにコンテクスチュアズ設立、2012年退社。作品=《gray》(2015)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=西澤徹夫)ほか。共著=『TOKYOインテリアツアー』(LIXIL出版、2016)、『B面がA面にかわるとき[増補版]』(鹿島出版会、2016)ほか。

このコラムの関連キーワード

公開日:2020年08月26日